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2007年12月

2007年12月31日 (月)

旅行第三日目:ポン・デュ・ガールの水道橋

旅行第3日目:ポン・デュ・ガール(Pont-du-Gard)の水道橋

このペースで書いていると、折角見つけた娯楽も、2ヶ月弱で終了してしまう事になる訳ですが、生まれ着いての貧乏性で、何かしていないと落ち着かない僕は、この9連休にやる事があるのが嬉しくて仕方なく、ついまた原稿を書き始めてしまいました。もし僕が極秘情報を知っている諜報部員だとして、僕から情報を聞き出したかったら、拷問などせずとも、3日間も牢屋に入れておければ、やる事のない辛さに耐えられず、ペロッと白状することでしょう。それほど、暇が苦手な僕は、今から老後の楽しみを探しておかないと、こいつはヤバイことになると考えている今日この頃です。

今回は、ぐっと南に下ってローマ時代の水道橋を訪ねてみます。南フランスのニームとアビニョンの中間あたりにあるこの水道橋。色々な世界遺産を見てきましたが、これは結構衝撃的でした。ローマ人は紀元前後ぐらいからその勢力をどんどん北へのばし、はるかイギリスにも到達したと言われていて、イギリス南西部の「バースのローマ浴場後」はその名残といわれています。もうご存知でしょうが、英語のBathはこのバースから来ていて、つまりわれわれが「バスクリン」とか「ジャグジーバス」等もう外来語として使っている言葉は、元をたどればローマ人の文化が起源ということになりますが、これは余談です。

Photo_2 

Photo_3 このポン・デュ・ガール(直訳するとガール橋)は2000年以上前の水道橋で、高さ48Mの水道橋で、当時は1日に2万㎡の水をニームまで送っていた(出典:地球の歩き方)との事ですが、略完全な形で、現代迄残っているのが、まず驚異。

でも僕が驚いたのはそれよりも、この2000年前の橋を実際に自動車道路に使い続けていたという事実です。

初めてこの地を訪ねたのは1回目のフランス赴任の時ですから、多分'93年頃。この時は写真の一番下の部分の、幅の広い水道橋部分を車が通っていたことです。田舎ですからその台数はしれているのでしょうが、でも、人類が永久に保存しておくべき世界遺産の2000年前の建造物を、車が毎日ガンガン走ってていい訳?建造物への負担とかちゃんと考えているの?・・と首を傾げたくなりました。流石に二回目の赴任時(04)に、子供にこの「人類の偉大なる資産」を見せておきたくて再度訪れた際には、自動車の通行は禁止されていたようですが、それでも夥しい観光客は相変わらず、橋を横断して楽しんでいました。

Photo_4

(これが最上部;今は通行禁止)

そう、そういえば、この水道橋は3段構成になっていて、一番下がかつての自動車道路、一番上の部分が上水道となっていて、長い距離を水が自然と流れてゆくように微妙な傾斜がつけられていたらしく、人類の英知に最敬礼する思いなのですが、その上水道自体は、ちょうど「人間が立って渡れる高さと、すれ違える横幅をもった水のトンネル」となっています。前回の訪問時には、このトンネルの中を渡りましたが、驚いた事に、当時はトンネルの中ではなく、トンネルの上も人が歩いていたこと。一応「歩行禁止」の立て札はあるものの、柵がある訳でもなく、勇気ある人(勇気あると思ってもらいたい願望ある人)がぎりぎりすれ違える幅の道を歩いているのです。落ちれば数M下の道路。運が悪ければ大怪我。日本だったら怪我人が出た途端に行政が槍玉にあがるから、こんな歩行は絶対認めない筈です。「自己責任原則」が徹底した欧州ならではの光景でした。ちっと追加すると、もっと凄かったのは、イギリスのセブンシスターズの崖。「ドーバー海峡に向かって切り立っている高さ78Mの見事な白い壁」が売りの観光地なのですが、この7Mの崖の上にもなんの柵がないのです。気がつかなければ落ちること確実。その数M手前で2歳の子供を歩かせていた僕は、この柵もない崖っぷちの傍を子供が歩いていた事実に気がついたときは背筋氷結ものでした。

さて、話はフランスの行政の態度迄飛躍しましたが、ともかく、ポン・デュ・ガール2回目の訪問の時には、この上水道部分は通行禁止となっていたので、少し安心、少しがっかりってとこでした。(事故でもあったのかしらとちょっと気になりましたが)

とまれ、川べりから眺めると、そこの2000年その姿を横たえてきた雄大なこの橋。イタリアが占領していた古代、フランス王朝時代、そして共和制への移行・・この橋は気の通るなるような時間、ここにじっと横たわって人類の栄枯盛衰を眺めてきたのかと思うと、なんか不思議な気分になります。

夏になると、川にはカヌーを楽しむ人が多く、家族ずれがキャンプをはり、遺産をまったく意識しない人たちが思い思いにここでもバカンスを楽しんでいます。

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人類の英知の凄さを痛い程感じ、「こんな人類の偉大なる宝を何時までも後世に伝えたい」なんて、柄にもないことを考えさえられるポン・デュ・ガールの一日でした。

休息:フランス人 Oui ou Non (No.1)

フランス人 Oui ou Non: <1>

フランス人というと、「少し冷たくて、自己中心という印象を持つ人」は多いですよね。考えてみれば、それ程多くの人がフランス人と接した訳ではないのに、いつのまにかフランス人は冷たいという印象が定着していて、それでもってフランスに旅行した人は、「やっぱりそう。全然、英語話してくれなかった」「レストランでもアジア人だから差別された」なんて経験をして帰ってきた人も多いと思います。そこで、僕自身がフランスでの様々な思い出を忘れないためにも、フランスで経験したいい話、悪い話、両方纏めてご披露しようと思います。名づけて「フランス人 Oui ou Non」。さて、今回はOuiNonか?

1994年だったと思いますが、出張でロンドンから来た知人をつれて、ロアールにある城めぐりをしたことがあります。いきなり脱線しますが、ロアールには100ぐらいの城があるといわれています。そして、観光できるシャトーだけでも、20ぐらいはある筈です。フランスに10年近くいたので、ロアールにも何度となく訪ねましたが、訪ねたシャトーは本人の意に反して、10個もないんです。「研究熱心でないから」、「面倒くさがりだから」、いえ、それも否定しませんが、事実はこうです。(ある時の友人からの電話)「今度フランスに遊びに行くんだけど」「そう、再会を楽しみにしているよ。で、どこにいきたい?」「シャトーとか見たいよね。折角フランスに行くんだから。遠いの?」「いや、車で2時間ぐらいかな。楽勝だと思うよ」「決めた。じゃあシャトーに行くことにする」「じゃあ、どこに行くか、まだ時間があるから研究しておいたらいいよ。」「わかった。宜しくね。」(以上、フランスを訪れる知人との会話の代表例)。で、当日。「色々調べたんだけどさ、やっぱ、シュノンソー城とかシャンボール城とか、外せないよね。きれいそうじゃん、あれ」・・・・というわけで、僕はシュノンソーとシャンボールは少なくとも4回はいってます。でも、そこから少し離れている名城は、結局、時間切れとなりついぞ行くことなくフランスを離れました。結局、訪ねたお城は凄く偏っていて、全部で5~6箇所といったところでしょうか。今日のお話は、その数少ない例外、ユッセ城にイギリスの知り合いを連れて行った時の話です。

このユッセ城、あまり聞いたことないかもしれませんが、実は日本人が一番身近な城です。

この城はあの「眠れる森の美女」の舞台となったといわれる女性的な可愛い城で、なんと城の中に、眠れる森の美女のストーリにそった人形が飾られている城なのです。

この城にゆく途中、道に迷いました。フランスは観光地の道路標示はかなりしっかりしていて迷うことはないのですが、それだけに迷ってしまうと、それはつまり標示が出ていないぐらい目的地から遠い所まで、迷いでてしまったという事で、とてもヤバイ状態にあるわけです。狭い道に迷い込んでかなり狼狽する僕。「大丈夫ですか?」とかなり不安の表情を隠さない友人。地図には、明確に城の印はついているのですが、今、どこにいるかわからないので、どちらに向かっていいかわからない。道路は狭いので、車とめるスペースはないし・・・ついに分岐点についてしまい、さて、どっちにいったらいいかわからないし・・で、思い余って、道路脇の家の庭先近くまでそうとう深く入り込んで車を停て地図を眺めてました。

片車輪はもう庭に入り込んでいたと思います。 と、その家の扉があいて住人が近づいてきます。「やっば。逃げなきゃ」と思ったのですが、こういう時って、結構気持ちがからまわりして、エンジンがなかなかかかんなかったりするもんですね。オジサンはどんどん近づいてくるし。「仕方ない。お詫びしよう」と腹を決めて、なるべく哀れっぽい道に迷った外国人観光客の雰囲気を醸し出す努力をしつつ、「道に迷ってしまったので、庭先に車停めて地図みてました。すいません。今すぐ車出します。」と懸命にわびました。するとオジサン、「どこに行きたいんだ?」と一言。行き先を告げると、家に戻って数分。 白い紙にマジックで地図を書いてくれて、丁寧に丁寧に行き先までの道を教えてくれました。そして、満面の笑みを浮かべて、「無事つくといいね。」といって送り出してくれました。「哀れな道に迷った外国人観光客」にとっても優しく手を差し伸べてくれた田舎のオジサン。

フランスには、パリと「パリ以外」の2種類しかない。なんて言葉をよく聴かされますが、「パリ以外の」代表であるロアールの田舎のオジサンは確かに人情味あふれた人でした。そんないきなりの好印象のおかげか、僕はフランスの田舎の人が大好きです。旅行先でふふらっと入るレストランとかでもなるべく店員さんに話しかけたりして、たわいない会話を楽しむことにしています。そんなわけで、フランスOui ou Non。「今日はOui体験」でした。旅先でのエピソードはまだありますが、それはまた次回。A Bientot!See you!

2007年12月30日 (日)

旅行第二日目:プロバンの中世都市

プロバン(Provins)って?

旅、第2日目は、欧州好きなら誰でも知っている「モン・サンミッシェル」からぐっとマニアック(この間、TVで物まね番組を見ていたら、司会のヒロミが、「これはマニアティックだ」といって研ナオコから突っ込まれていましたが、そう正解は「マニアック」です。・・これはどうでもいい話。)に、中世都市プロバンスを紹介しますね。モンサンミッシェルが修道院を中心とする「静」の世界遺産なら、プロバンは「動」の世界遺産です。その意味はこれから説明してゆきます。

パリ南東90Kmにあるプロバンは、世界遺産というにはあまりにもこじんまりという町。

この小さな町が世界遺産となったのは、おそらく中世の町並みが、町も人もひっくるめて、そのまま残っているからなのでしょう。今回この町に来たのには理由があります。毎年6月には中世祭りがあるのです。世界遺産とは知りながらも、わざわざ旅行にくるにはインパクトが小さいので、今まで来れなかった訳ですが、6月の僕の誕生日記念ということで「中世祭り」というイベントを捉えて、漸く当地にやってきた次第です。

✏ 「動」の世界遺産とは?

駐車場を降りて5分ぐらい。ダラダラ坂をあがりきったところあたりから、中世都市が始まります。よく「中世にタイムスリップしたみたい」という台詞を聞きますが、それを感じたのは、ベルギーのブルージュとか、ドイツのローテンブルグでは確かにそんな感覚を覚えましたが、ここはそれほどの町の規模ではなく、そういった感覚までは覚えませんでした。とはいえ、そうはいっても、地味な茶色の町並みがならんでいる姿は圧巻。でも、その町並みよりも、いやでも中世を感じたのは、町の住人の服装です。そう、この中世祭り当日は、中世の服装であるいている事です。みんなが思い思いにこの日の為に用意していた衣装に身をつつんで、町を楽しそうに闊歩しているのです。

Provin_3

これってちょっと意外。というのも、フランス人は一般的印象ではラテン系とは思えないほどクールな部分が目立つ国民です。初めてできたばかりのディズニーランドパリに行ったとき、ディズニーランドの従業員のテンションの低さ{つまり盛り下がっているということ}に、どうしようと思ったぐらいでした。何年かたって再度訪ねたら、それなりに高いテンションで盛り上がっていましたので、安心しましたが。ってこれは余談。でも、そこはラテン系なんですね。自分の村のお祭りとなると結構なりきって楽しそうにやっています。)こうした町並みと、そこに住む明るい陽気な人々、それらの集大成が、つまりは「動」の魅力が、この街の世界遺産の価値なのかもしれないと思った訳です。

✏ 今日のイベント

最初にみたのは、鷹匠のパーフォーマンス。中世仕立ての建物に、中世の騎士の格好をし馬に乗った鷹匠が登場。その頭の上を自由に、気侭に鷹が飛びまわっています。そして鷹匠の口笛一つで、鷹匠の手の上に。中世の建物には火が燃え上がり、演出効果ばっちり。

鷹は自由に飛びまわり、気がついたら僕の頭のすぐ上に。なんか一体感のある不思議な演出でした。

Photo_2

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街をぶらぶら散歩して、いろいろな土産物屋を訪ね時間を潰しました。時間を潰してまったものは何か?それは年一回の仮装行列。高々数百メートルの距離ですが、思い思いのグロテスクな格好をした人が、すっかりなりきって仮装行列に参加しています。写真見てみてください。すごいでしょ。なりきっているでしょ。

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Provins 

こんな格好をした人たちが、自分の1M前を歩き回る仮装行列、30分ぐらい続いたでしょうか?これは中々見所がありました。

小さな町が静かにでも真っ赤に燃えた。それがプロバンスの中世祭りでした。

2007年12月29日 (土)

旅行第一日目:モン・サンミッシェル(フランス)

世界遺産:旅の第一日目はここ、フランス・大西洋に面するモン・サンミッシェル

✏あ、あれだ。

モンサンミッシェルがある辺りは思いっきりの低地。今でこそ高速がだいぶ近くまで発達していますが、僕が最初に行ったころ('93)は、かなり遠くから一般道路を走る必要があり、1車線の道路を、時々目の前に立ちふさがる巨大トレーラーを、恐る恐る追い越しながら、5~6時間ぐらい走ります。モン・サンミッシェルの楽しみ方、その1。それは、遠くから延々と続く平地を走りながら、「地平線にプチッと見えてくるちっちゃなモン・サンミッシェルをいつ見つけられるか」競争。写真にUpしました。そう、こんな感じです。

本当に点のように見え始めた教会が、曲がり角まがったりしながら、一般道を走ると確実にそれが大きくなり、最後に目の前に立ちはだかる感じがとても楽しいです。6時間も走ってきた後だけに、たどり着いた時の達成感もまたひとしおです。パリからの日帰りバスも出ていますが(ミューとか、JTB、パリパノラマとか)相当朝早く出発し、夜8時ぐらいに戻ってくるツアーですので、丸々1日使うつもりで行ってくださいね。

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⇒地平線のかなたプチッっと見えてきた。こんな感じ

✏入る前に、ちょっと薀蓄

フランスは、国民の圧倒的多数がカトリックのお国柄で、キリストの奇跡にまつわる土地がいっぱいありますが、僕の知っている代表的な場所が、このモン・サンミッシェルとルルドです。僕の知り合いが、「フランスには江ノ島が2つある」と言っていましたが、その2つというのが、このモン・サンミッシェルとルルドなのです。「何でかなぁ」と思っていってみると、納得。共通点はキリスト教に纏わる土地だということもあるのでしょうが、もっと単純な理由でした。

まず、ルルド。ルルドは、フランスでは南西のピレネー山脈の近くにあるちっちゃな町ですが、そこにはこんな言われがあるそうです。土地の娘の夢にキリストが現れて、「この地に井戸を掘りなさい」とお告げを受け、そこに井戸を掘ったら本当に綺麗な水が湧き出したきたそうで、「湧き出てきた水を飲むと病が治る」とかで多くの病人が何十台も団体バスで駆けつけてきていて、ここはとても観光気分ではいけませんでした。ところで、その駐車場から井戸に行くまでが、これが「江ノ島」。狭い一本道の両側500Mぐらいがすべてみやげ物やで、延々と土産物屋になっていて、この感じが江ノ島そっくりなのです。この狭い土産物屋間の道を夥しい数の観光客がおしあいへし合いしながら歩いている感じがまさに江ノ島そのものでした。

そしてルルドでは、すべての店で同じものを売ってます。「世界不思議発見」風に行くと、ここでQuestionです。「ルルドの全てのみやげ物やで売っているものとは何でしょう?」・・・・正解はマリヤ様水筒。この水筒に、ルルドの水を詰めてかえって飲むのでしょう。10Cmぐらいから40Cmぐらいまで、様々な大きさの、様々な色の、でも同じ

形の微笑むマリア様の水筒が延々の500M ならんでいる姿は圧巻です。

✏登ります。

さてモン・サンミッシェル。ここも、後にSt.Michealとなるあるカトリックの司教様(聖オベール)が、これもお告げで、「この離れ小島に修道院を作れ」と言われ、9世紀に着手し、膨大な時間と費用をかけてこのサン・ミッシェル教会を作ったとのこと。この言い伝えが国中に広まり多くの人が参拝に訪れ、そこで大きな悲劇が。このあたりは低地で、この島は満ち潮の時には離れ小島、引き潮の時には道ができるというなんとも神秘的な場所で、この神秘性が人々の心を引いたのでしょうが、問題はこの引き潮。当時は今ほど砂がなく、もう少し潮の満ち引きが激しかったそうで、この引き潮に飲まれて、多くの信者さんが海に飲み込まれてなくなったそうです。僕も、駐車場に車を停めたとき、車が混んでいたので、かなり駐車場のはずれの方にとめてとぼとぼ歩いてきたのですが、駐車場の端にあるプレートを何気なく読むと「このあたりは○時から満ち潮時に水に埋まります」っと書いてあり、慌てて車を動かそうとした思い出があります。そばの人にきいたら、「今は砂が堆積しているから、ここは全然大丈夫。。」ということで安心したのですが、「だったら、こんな人騒がせなプレートはずしておけばいいじゃんか」と思いましたが、そこはフランス、このあたりは結構いい加減かも?024_24a_2

✏またも江ノ島

で、中に入るとそこは「まさに江ノ島」。狭い門を入ると一番高いところにある教会までは狭い、ほとんど一本道。入り口に近いところがレストラン、中腹にホテルが2件あるのですが、後は全部土産物屋です。ルルドと違って、売っているものはバラバラですが、道(幅34Mぐらいの狭い道の両側は、びっしり土産物屋で、この感じはまさに江ノ島そのもの。

地球の歩き方にも書いてありますが、ここの名物は、「巨大オムレツ」。卵1個を混ぜに混ぜ、空気を取り込んで作る巨大オムレツ。最初にここに来たときに家族が注文しましたが、味はともかく、量がとんでもないもので、運ばれてきた瞬間、「もうご馳走様」っていうぐらいの量です。さすがフランス、やることが半端無い。

✏修道院に到着

さて、狭い道を登ってゆくと頂上に到着。

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頂上名物が、教会とその回廊。教会そのものはどこでもそうですが、特に、有名なステンドグラスか、絵画がない限りはどこでもあまり変わりません。ここの売りは「回廊」。細-い柱に支えられた回廊とそこから見られる景観が圧巻です。写真をUpしましたので、見てみてください。

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目の前に広がる大地は、この場所がいかに延々と続く低地に囲まれていたかがよくわかると思います。そんな低地に悠然のその姿を浮かび上がらせるこの修道院、これは相当感動的です。フランスにゆくなら中日1日をここに当てて、日帰り観光が楽しいでしょう。この島の中のホテルもこぎれいでいいです。遅くまで町でフラフラできるのも楽しいし、一泊旅行も悪くないですが、2日いたらたぶん飽きると思いますので、悪しからず。

それでは、はじめます

1.はじめに

子供の描く絵日記って、絵の巧拙に拘らず、その一瞬を飛び出さんばかりに楽しそうに描きだしていますよね。その一瞬を心の襞に刻み付けようとしているかのように。

海外から帰って1年半、だんだんと10年以上過ごした欧州が遠くなってゆくような気がして、僕も、子供の絵日記のように、キラキラしていた欧州の日々をどこかに書き綴って、後から振り返れるようにしておきたいと思い、このブログをはじめることにしました。只、問題は何を取り上げるかということ。15年近くも海外にいると、思い出となる場所もとんでもないことになっています。デジカメのなかった90年代からセッセと作ったアルバムが40冊程、これを格納するためだけに本棚を追加で買おうかというぐらい。

で、そんな無数の思い出をただ漫然とまとめるのも脳がないし・・・で、思い浮かんだのが’patrimoine Mondial’でした。これって「世界遺産」のフランス語です。

フランス在住が通算で8年、その最初の5年は子供のいない身軽さで、3連休といえば旅行にいってました。持ち前の凝り性が発揮され、家内に呆れられながらも、「地球の歩き方」の目次で、訪ねた場所に星のシールを一つずつはっていったのですが、あるとき、ふと気がついたのが、フランスの「世界遺産(Patrimoine Mondial)」を知らない間に殆ど訪ねているという事実でした。この「地球の歩き方の2002年版」に掲載されている世界遺産を、あと3つで全部訪ねられる」ということが分かり、年甲斐もなく熱くなり、帰国前の数ヶ月でその3つを回って、完全制覇!をしたのです。(尤も、2006年版の地球の歩き方を見たら、最近さらに4件増えたらしく、今となっては完全制覇ではないのですが、それはそれ)

それで、100近い訪問地の中から、世界遺産に限定して、一つずつ記事を纏めてゆこうと思いました。フランス以外の世界遺産もあわせると、それでも40ぐらいになるのではないかと思います(暇な時数えてみます)。シリーズものでも40も続けば、それはそれで完全燃焼できるのでは。(真っ白に燃え尽きられるのでは!)

前置きが思いっきり長くなりましたが、そんなわけで1回に1箇所(TV番組で「世界の車窓から」ってあるけど、あんな感じで1回1箇所、絵日記的に描いてみたいと思います。

それから、もう一つやりたいことは、フランス人のこぼれ話。題して「フランス人 Oui et Non」。冷たい国民のように思われがちなフランス人も、実は温かい所も、熱いところもあります。一方、想像通り冷たいところもあります。8年間に出会ったフランス人たちのいいところ、悪いところ、全~部、まとめておきたいと思います。これは40回は続かないでしょうが。

では、次回からはじめます。次回は、ホンダのコマーシャルで有名になったブルターニュの奇跡、モン・サンミッシェル。・・・・A tres bientot!!

2007年12月16日 (日)

はじめの一歩

はじめの一歩を踏み出しました。今日は登録で力尽きましたので、明日から気分新たに頑張ります。

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