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2008年1月

2008年1月27日 (日)

番外編:「シュヴァルの理想宮」

<<番外編>> Palais Ideal du Facteur Chaval「シュヴァルの理想宮」

アルプスについて語ったのでちょっと脱線します。地球のあるき方にちょこっと出ている「シュヴァルの理想宮」に行ってみました。近くに来たからよって見ましたが、普通は行きません。行くところではありません。とにかく不便。Valenceから約20㎞と書いてあるので、少しなめてかかっていましたが、このValenceってのが偉く遠い場所でして、そこから20㎞狭いなーんにもない道をトロトロ走っていると 「こんな遠くまできて、一体、僕はなにやってるんだろう」って気になってきます。ともかく相当の時間をかけて到着。思いっきり普通の田舎町。さて、「ここ、理想宮」とはどんな場所か?

確かエアフラの機内誌だったと思いますが、こんな記事が出ています。「1873年、オートリーブの郵便配達人が、石の魅力に取り付かれ、理想宮造りを思い立つ。33年間合計1万日かけて一人で作り上げた建物がこれ。宮殿は幅14m、長さ26m、高さ10m、屋根部分はテラス、中は洞窟状になっている。1926年には素朴芸術建築例として指定建造物となった。」

さぁ、見てください。これです。

Dh000004_5 <==小さいけど緻密なデザインです。

 

Dh000002_3

<=鍾乳洞みたいにちょっとグロテスク

なデザインです。

                   Dh000003

カンボジアのアンコールワットみたいな建物です。規模は全然こぶりですが、とにかく緻密なんです。きっと郵便配達から帰って毎日毎日33年間一人でこつこつ作ったのでしょうね。妖怪でも棲んでいそうな不気味な建物の中は本当に「洞窟」で、人が1人通れるぐらいの広さ。階段を上がってゆくと展望台みたいな屋上に出られるのです。なんとも摩訶不思議な世界でした。33年かけて一つのものをたった一人で作り上げるなんて凄いですよね。きっと最初は変人扱いされたのでしょうね。良くぞ完成させた。と拍手を送りたいです。33年の成果をお見せしたくて今日はこれをUpしました。「指定建造物」ではありますが、世界遺産ではないので、番外編という事で。

ついでにアヌシー(Annecy)の写真もアップしておきます。この湖は透明度が高く、遠くのAlpsを背景にした湖はとっても魅力的でした。

Dh000001_4

2008年1月25日 (金)

休息: フランス人 Oui ou Non (No.4)

✏序章

サラリーマンを長いことやっていると、誰にいわれるでもなく、自分でなんとなく勝手に決めているルールが出来てきますよね。例えば、「座れない車両ではこのドアの辺りにたつ」とか、「改札を出てこの角を曲がったら社員証を用意する」とか。で、このブログも2回世界遺産の記事を書いたら、1回休息というルール、一度決めちゃうとなんとなく従うのがサラリーマンの悲しき性。で、今回もオランダ、ル・ピュイと2回旅行記を書いたので、今回は1回休んで、フランス人特集を書きたいと思います。今回は最初から答えをいいます。今回はフランス人Oui体験です。フランス人というより、フランスの国の合理性に感動した事があるので、是非お伝えしたいと思います。

それはVienne

それは、Alps近くのVienneという町でのこと。たしか春の連休にAnnecyという街にパリから小旅行で行ったのですが、その途中に立ち寄ったのが、Vienneです。因みに最後はEvianという街に泊まりましたが、ここはそうあのEvianというミネラルウォーターの製造元です。買い物に行ったら一寸見てみてください。3連山が印刷されているのですが、Evianにいったら、本当にあんなふうに綺麗な三角錐の山が3つ並んでいました。ここでは街の真ん中にEvianのミネラルウォーターが飲み放題の水道があって、みんな空のペットボトルを持ってきて水を詰めていました。まるでポンジュースが出てくる愛媛の水道みたいに。

✏午前1

ところでVeinne。ここは、Pyramidsというミシュランの2星レストランがあって、旅の間一回だけ贅沢をしようとこのレストランのあるホテルに泊まって、このレストランで優雅な食事を楽しみました。満ち足りたひと時、さぁあとはゆっくり広~い風呂に浸かって、そろそろ寝ようかといっていた午前1時頃、当時小学校3年生ぐらいだった息子が目を覚ましてお腹が痛いといいだしたのです。最初は、明日になればなおるから、寝なさいとか慰めていたのですが、あまり痛そうなので親としても心配になり、ホテルに相談。ホテルが気を利かせて医者を呼んでくれました。こんな時間に医者が来てくれるのだろうか???と思っていましたが午前2時ぐらいに女医さん到着。触診をしたあと、「大丈夫です。この薬を飲ませればおさまるでしょう。では」と処方箋をくれました。で、Au Revoir

とか行って帰ってしまいました。午前2時にもらった処方箋、あなたならどうします???????? ホテルに相談すると、思いもかけないアドバイスが・・・

✏警察に行きなさい

「それなら、警察に行きなさい。場所はここ」と地図をくれたフロントのおじさん。警察に行くとあいている薬屋を教えてくれるとのこと。「でも、午前2時ですよ。」という言葉は呑み込んで、車で午前2時の街に。知らない街をグルグル走り回って見つけた交番。

どきどきしながらドアをたたく。2回、3回、明かりがついて中から警官が出てきてくれましたが、「この人絶対30秒前まで寝てた」とわかるほと髪の毛モジャモジャのオジサンでした。なるべく哀れっぽく、「パリから観光にきたんだけれど、子供がものすごくお腹がいたいっていうので医者に見てもらったんだけど、薬かえるところありますか??」と恐る恐るいうと、「ちっと待ってて!」と言われ待つ事、23分。「今この薬屋に連絡取るからここに行って買ってください」とモジャモジャ警官。「でも、開けてくれるんですか?」と僕。すると警官曰く、「フランスでは、緊急の場合のために町の中で必ず24時間薬をうる薬局が当番で決まっていて、この当番表は警察に報知され、警察にゆけばいまどこの薬屋があいているかが分かるとのこと。」この合理的メカニズムに感激しながら、医者に書いてもらった地図を頼りに薬屋を訪ねて車で走ること5分。薬屋は見つかったけど、真っ暗。

「あり?」っと思っていたらプーと車が近づいて、中からAnotherモジャモジャオジサンが登場し、ブラインドを上げて、明かりをつけて「ハイッ」と薬を渡してくれ、「じゃ」っといってまた車でプーと帰ってしまいました。

✏これぞフランス合理主義

復習すると、「フランスではいつ如何なる時でも開けてくれる薬屋が当番で決まっていて、その当番は警察が把握している。警察の電話一本で当番の薬屋は店を開けて薬を処方することが義務付けられている」のです。ね、凄いでしょ?僕は感激しました。赴任直後は、、お店に買い物に行っても、なんとなく、だらっとした感じでヤル気があるのかないのか分からないような人が売り子やっている印象が強かったフランスですが、「ルールをキチっと決めて、それに確実に従おうとするこの国民の合理性」、これは評価に値します。2つの顔を持っているこの国民、住めば住むほど、この国民面白いです。

因みにこの薬を呑んだ息子はすぐ痛みを忘れて眠ってしまうし、深夜に車を飛ばして薬を買ってきた亭主の評価は(一時的に)あがるし、VivaFranceって感じでした。そういえば、パリでは日曜日に開けてくれるパン屋さんも当番で決まっているという話を聞いたことがありました。「どんなに貧しい人でも、週末飢える事がないようにパンだけは買える」ようにと考えられた制度だそうです。

ともあれ、フランスの奥深さにちょっと触れた僕でした。で、今日はフランス人Oui ou Non、超Oui体験でした。

2008年1月16日 (水)

旅行第八日目:ル・ピュイ・アン・バレイ

行第八日目:ル・ピュイ・アン・バレイ

✏ちょいインチキか?

「2002年段階のフランスの世界遺産の全てを回ったぞ!」と粋がっていますが、一部インチキっぽい点があります。それは、地球の歩き方世界遺産No.23「サン・ジャック・ド・コンポステル街道」。この遺産は一寸変わっています。この街道の目的地はスペインのサンディエゴ・デ・コンポステーラであり、そこにはパリ、ヴェズレ、ル・ピュイ、アルルから各々目的地にむかう4つのルートがこの街道で、実は「その巡礼路の一部が世界遺産」らしいのですがどこだかよく分からず、「ただパリもヴェズレもルピュイもアルルも全部いったから、まぁいいか」ということで、これも「制覇」ということにしています。「別にどこかに全制覇を登録したわけではないし、まぁいいか。」という事で。

✏だけど、凄いです。

そんなちょっといい加減なご紹介ですが、今回、No.23としてご紹介したいのは、タイトルの「ル・ピュイ・アン・バレイ」です。これはもう、どう形容したらいいのか?過去にご紹介したポン・デュ・ガールもキンデルダイクの風車群もハッキリとした「生活する」という目的のために作られたものなのですが、ル・ピュイ、これはもう「宗教的意味を理解していないと、なんでこんなことをしたのかが分からない」のですが、きっとそこには重要な意味があるんでしょうね、きっと。 この街は本当に小さな町。たどり着く為に、山道を走り、狭い道を上り、そして下り、急な下り坂で思わず速度を落として走っていると「6000万人総暴走族???」といってもいいほど運転が過激なフランス人に何度もパッシングされながら、半ば開き直って走ること数時間。「旅行第一日のモンサンミッシェル」と同様、「それ」が見えるまでのドキドキ感がたまりせんでした。

✏「それ」とは

それ..とは、街に突然聳え立つ2つの奇岩。片側には教会、片側には巨大な聖母像がその奇岩のてっぺんにど~んと聳え立っているのです。街に奇岩が2つ向かい合うように聳え立っている自然もさることながら、こんな場所に教会を作る信仰心にまた敬服します。前置きが長いですね。

Lepuy_6 

これがその映像です。 これは山ではないのです。それは岩としかいいようがないのですが、岩としてはあまりにも大きい、まさに「切り立った奇岩」です。「なんで突然こんな岩山が存在し、そしてその岩山に何で教会を作ろうと思い立ったのか?」「誰が建築を指示したのか?」「どうやってその建築材料を運び上げたのか?」・・・・なんとなく神秘の世界に吸い込まれてゆくような気がしました。

✏では、登ってみます

Lepuy_2_4

欧州の観光地の凄いところは、こんな急な坂にもエレベーターも何にもないところ。で、268段の階段をエッチラオッチラ上って漸く頂上へ。教会の名前は「サン・ミッシェル・デキレ礼拝堂」。地球の歩き方の説明では「教会の中にある壁のフレスコ画」や「ロマネスク期の聖遺物箱」が必見とかかれています。

   

                                                                                                                                                               

Photo zoom up

(サン・ミッシェル・デキレ礼拝堂)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

僕がいったときはフレスコ画が修復中でしたが、こんな感じの教会画が描かれていました。(フラッシュ禁止なので綺麗にとれていませんが悪しからず)

Lepuy_11

                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                    

                                                   

                                            

 ここから向かいのコルネイユ岩山の上の聖母像がよく見えるのですが、聖母像は16mもあるうす桃色の巨像です。

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     こんな感じで小さな子供を抱えて慈愛に満ちた笑みを浮かべています。

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クリミア戦争でロシアから奪った200門の大砲を鋳って作ったそうで、戦争の道具をつかってマリア様を作るなんてなんともフランスですね。 流石、サン・ジャック・ド・コンポステル街道の基点となった街。人々の純粋な信仰心がきっと生み出した奇跡なのでしょう。何百年も前から、この教会とマリア様は向かい合って人々の唱える賛美歌を聞いて、村の人々の心の支えになってきたのでしょうね。

2008年1月14日 (月)

旅行第七日目:オランダ キンデルダイクの風車群

旅行第七日目:オランダ キンデルダイクの風車群

知り合いから、「ちょっとペースが速すぎない?フランス人みたいにのんびりとグラスのワインを揺らしながらゆっくりと書くものだよ、こういう記事は」と言われました。で、そうしようと思っていますが、3連休で外出しないと時間を少しもてあますので、あと一個だけ書きます。どうか気軽な書き込みお願いしますね。!!

小ぶりな遺跡を紹介したので、少しワープして(古い!)、比較的メジャーな世界遺産であるオランダの風車村(キンデルダイク:Kinderdijk)をご紹介します。オランダで有名な風車は、このキンデルダイクとザーンセ・スカンス(zeense Schans)の2つでしょうか。

帰国するときに欧州への未練を断つのと、帰国荷物があまりにも多かったため、古い地球の歩き方を処分してしまった(出版社の方ごめんなさい)ので、あまり細かい説明は出来ませんし、それが目的のブログではないので、詳細な所在地、歴史的価値などは書きません。

                                            (NHK曰く)

以下はNHK世界遺産の旅の紹介文です。「オランダ第二の都市ロッテルダムの南東10キロ、キンデルダイク。平原と運河のこの村には、19基の風車群がずらりと並び、18世紀の美しい風景をそのままに残しています。それは、国土の4分の1が海抜0メートル以下という低地の国オランダの知恵と努力の歴史を物語る風景です。」。なるほど、こういう風におごそかに紹介しなければいけないわけですね。僕が訪ねたのは2004年のイースタです。(写真の日付は設定ミスです)。キュウーケンホフというご存知チューリップ畑を見に行った時に足を伸ばしてみました。世界遺産からはすこし外れますが、キューケンホフの写真のアップしておきます。ただ、イースタは例年少し時期が早すぎるらしくチューリップの花盛りという感じではなく、それ以外の花が咲き誇っていましたね。日本からチューリップを見るならゴールデンウィークをお勧めします。

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さて、キンデルダイク、説明によれば1950年頃までは実際に使われていたそうで、草原に19基の風車が並んでいる風景は壮観です。自分では19基あるか確認したわけではありませんが。確か中にはいれる風車は限定的だったと思います。このあたりの記憶はだんだん薄れてきているのですが、こうやって記憶があいまいになっていくのが記録をブログに残しておきたいと思い立った由縁でもあります。

もしはるばる日本から観光でオランダにいって、どちらか一つ風車のある風景を見たい場合に備えて、ご参考までに個人的意見を申し上げておくならば、

    キンデルダイク:(写真1枚目、2枚目)自然と一体化した風車のありのままの姿をみ、風と一つになって穀物を挽いている50年前の農民に思いを馳せて感傷に浸るならばこちらのほうがいいかもしれません。ただ、風車が延々とあるだけで、観光客向けの土産物屋などはあまりなく、観光客でごったがえしてその盛り上がりの中に身をおいてテンションあげたい人には向いていないかもしれません。

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    ザーンセ・スカンス:(写真3枚目)ここはShopも充実していて風車関係の土産物、オランダ名物の木靴の製造販売、レストランと結構楽しかったです。ここはいわゆる 観光地です。風車の数は少ないです、動いている風車の中にはいって風車を体感できます。僕が訪問した時は風が強い日で、とれちゃうんじゃないかというほど、物凄い勢いでブンブン回っている風車を真上にながめる感じは圧巻でした。これは物思いに浸るというよりディズニーランドでジェットコースターを頭の上に見上げた時の感じに似て、なんか迫力ありましたよ。ここは

020

   

  (<=これ動いてる風車です。)

                                                                                                

                                           

                                      

                                      

                                      

                                                

                          

                          

                                                >>発音ネタ。あれこれ(雑談)

なんかこのまま終わっちゃうと、普通のガイドブックみたいでつまらないの

、ちょっと脱線します。海外にゆくと地名でちょっと噴出しちゃうような名前に遭遇することがあります。今回オランダ派遣経験者の人に紹介されて訪ねた海辺の街があります。名前がScheveningen。正式なオランダ語の発音は知りませんが、カタカタ読みでよむと「スケベニンゲン」。ちょっと面白いでしょ。                                         

                                           (追加脱線)

                                            

この路線でちっと発音ネタを一つ二つ。たまたま日本語の発音と似ているフランス語っていくつかあります。それをちょっとだけご披露します。有名なところでは、Ca va?(元気ですか?)は、そのまま魚の「鯖」と発音すれば通じます。父がフランスに来たときに、「フランス人てあまり礼儀知らないね。おれが店を出るとき、『あばっ』っていってた。あれって『あばよ』の『あば』なの?」と聞かれましたが、これは全然違います。Au revoirSee you again)ということですので、正確には「オ、ルブア」なのですが、単語がつながって確かに「あばっ」って聞こえます。偶々意味が一緒で、これは面白いです。

                                                     (おまけ)                                            

                                       後一つ、日本語の「確かに、明らかに」という単語をévidemmentとよく言います。発音すると「エビダモン」。僕の職場は部下9人がすべてフランス人で会議は全部フランス語、フランス語がまったく聞き取れなかった着任当初、一人だけポツリと会議から取り残され、何言ってるのか全然分からない白熱の議論の中で、突然真剣な顔してフランス人が「海老だモン!」といった音だけが突然聞き取れて、「僕、海老だもん!って、Vサインかなんかして跳ねている海老の映像」が浮かんで、噴出しそうになったことがあります。その後、我が家では「イカだモン」「タコだモン」とふざけていうのが流行りました。

話のレベルがちょっと普通のガイドブック的な崇高なレベルから、僕のブログにふさわしい低いレベルに戻ったところで今日は終わりにします。

では また。

2008年1月13日 (日)

休息:フランス人 Oui ou Non (No.3)

フランス人 Oui ou non

>パリ、冬

今日はお膝元のパリのお話です。僕が始めてパリに赴任したのは、90年。最初に住んだのは前任者の家を引き継いだパリ郊外でした。後で知ったのですが、一時日本でも有名だったピアニストのリチャード・クレーダーマンがすぐそばに住んでいたそうで、僕の前任者は近くの公園で遭遇したそうです。赴任したのは11月。この年のパリは何十年ぶりかの寒波で、会社のそばのビルにあった温度計が最低で氷点下11℃になったことを覚えています。

外を歩いていると顔が痛い感じ、息が凍るような感じはこのとき人生で初めて味わいました。フランスは小さな町だし、オフィスに駐車場があったので、会社では車通勤が普通だったので、僕も車で通っていましたが、そのとき凍てつく車にのってセーヌ河岸を走っていると、当時ラジオをつけるとエルトン・ジョンの「ウィスパー」が毎日流れていたのを覚えています。今でも、この曲が流れるとなんか肌が痛いような、あのセーヌ河の透明な寒さを思い出します。

>それはセーヌ河

さて、このセーヌ河岸が今日の舞台です。パリのセーヌ河岸には自動車専門道路が両側に走っています。雪解けの季節にはセーヌが増水して一番ひどいときはこの道路も冠水したことがありますが、この道路をケー(Quai)といい、余談ですが、フランス外務省は

セーヌ川沿いにあるので、Quai d’Orsay(ケドルセー)といいます。そう、日本で政治の舞台を「永田町では。。。」と表現するようなものです。ニュースで、「ケドルセーの発表では・・」といわれて、「ケドルセ・・??????」となったのを覚えています。このケドルセーの前のケーを通って、エッフェル塔の前を通って帰るのが帰宅のルートでした。

>これがフランス人

パリはフランスの首都とはいえ、都市整備がしっかりしているのでセーヌ河近辺は渋滞は少ないのです。でも時々、渋滞します。それは事故が原因だったり、冠水してケーが通れない場合など混みます。で、こうなるとフランス人(僕はパリ人と呼んでいます。フランス人全体とは少しかけ離れた存在です)の本領発揮なのです。もともと運転があらく、日本人みたいに綺麗に列を作って待つ文化がもとより存在しない人たち。少しでもスペースがあれば、我も我もと突っ込んできます。ある時僕もその渋滞の中にいました。僕は左折したいと思っていて左ウインカーを出していました。左隣りの車線を見るとフランス人の女性がHONDAのシビックに乗っていました。その車の前に一台分のスペースが出来たので、そこに入ろうと思っていたのですが、一瞬その人と目があったんです。そしたら、その女性がニコッ(ん、ニヤかな)と微笑んだので譲ってくれるんだろうなと思ったら、そのスペースに車をプイッと詰めてしまいました。「ウインカーを出している僕の車が左車線に入ろうとしているのは明らか、そしてそこにスペースがあって、それで僕と目があって、ニコッと微笑んで、この状況下でいったいどうやったらスペースを詰めることができるんだあぁ・・・#$%%&&☆~¥ßέ。あぎゃーー」と思った次第です。その後相当苦労して左折して帰宅したのを覚えています。

>もう一つ

「フランス人と車」のねたは物凄~く一杯あって今、頭の中にも10件ぐらいのネタがありますが、今日は後一個だけ。

フランスではまだオートマ車が少なく、オートマ車を買うのは相当困難です。因みにオートマ車の事をBoîte Automatique(自動の箱)といいます。フランス語は単語を形で表現する習慣があって、正方形のものはCarréといえば「平方メートル」という意味も「スカーフ」という意味にもなります。棒状のものはBaguette(バゲット)といい、御馴染みフランスパンもバゲット、日本の食用箸もバゲットとなります。

話は大きくそれましたが、このオートマ車がないのでフランス人はマニュアル車に乗っているのですが、これは僕の知り合いの体験。わりと渋滞している上り坂の道路で、坂道発進をした前の車が、サイドブレーキを外すタイミングとクラッチを切るタイミングが合わず(つまりは初心者?)、ずるずると12㍍ずり落ちてきて、その人の車にコチッっとぶつかってとまったそうです。アチャーと思っていると、その車のドライバーの女性が降りてきて近寄ってきたので、「あ。詫びにきたのか。まぁ、この程度ならフランス車の頑丈なウレタンバンパーなら傷はつかないだろう。気にしないでいいよっていってあげよう」と思って車の窓を開けたそうです。そのおばさん、窓から中を覗き込んで、凄い剣幕で、「あんた、車が下がって来ているのに気がついたらクラクションで教えなさいよ。まったく」と捲くし立てて戻ってさっさといってしまったそうです。今の言葉でいうと「目が点」になって一言も言い返せなかったと悔しがっていましたが、そんな事は日常茶飯事。この国言った者勝ちです。

ついでにもう一個。Caféで僕がお茶をしていたときのこと。ボーイさんが僕にCoffeeを運んできて、まさに ’Voila Monsieur(ハイどうぞ)’と配ろうとしたその瞬間、となりの席の女性が、‘Oh!La,la’といって大げさに手を肩より高く大きく広げるジェスチャー(パリでは普通のアクション)をしたその手がボーイさんの手にあたり、コーヒーが「バッッチャン」と僕のズボンに・・・・。「あ、っ」と立ち上がってのたうちまわる僕。慌ててタオルをもってきてズボンを拭き、何度も何度もわびる哀れボーイさん。「C’est pas grave(大丈夫、大丈夫)」といってその場を収めたのですが、その張本人の隣の席の女性、一部始終を見ていながら、「すいません」の一言もなく、またとなりの女性と話込み始めたのです。フランス人は「本当に悪いときには詫びない」という噂を聞いていたのですが、「ほんまや」と痛感した事件でした。

長くなりました。今日のフランス人 Oui ou non、今日はちょっぴりnon体験でした。

お後がよろしいようで。次回はまた旅に戻ります。

2008年1月 9日 (水)

旅行第六日目:サン・サバン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

Photo_4 旅行第六日目:サン・サバン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会

ちょっと国境を越えてドイツまで足を伸ばしましたが、今日はまたフランスに戻ってきました。今までわりとメジャーな世界遺産を紹介してきたので、今日はぐっと地味な遺跡を紹介させてもらいます。地球の歩き方のNo.26サン・サバン・シュル・ガルタンプ・・ね、知らないでしょ?僕も全然知りませんでした!!

地球の歩き方の世界遺産を訪問する旅にその番号の脇にシールを貼っていて、27箇所ある遺産(2002年版)のうちあと3箇所訪ねると全制覇(あくまでも2002年版ですが)と気がついたことから、残り3箇所のうちの一つ、この場所に注目しました。場所はポアチエから40㎞のところ。

このポアチエという地名、聞いたことありますか? 高校で世界史を勉強した人・・さぁ、思い出してください。そう、「トゥール・ポアチエの戦い」で一度だけ目にしたはずの地名です。この戦い、フランク王国君主シャルル・マルテルが、侵入してきたイスラム教徒を、トゥール(ロアール)とポアチエの間で撃退した有名な戦いだそうで、ここで負けていたら、フランスはイスラム化して、皆さんが今、観光でパリを訪ねても教会の代わりにモスクを訪ね、ミサを聴く代わりにコーランを読んでいたかも知れないわけです。エッフェル塔もなかったかも。ルーブル美術館にも、モハメッドの絵とか、ホメイニ師の写真ばかり飾ってあったかも。・・そう考えると重要なわけです、ハイ。ってこれは冗談。

ポアチエ迄、パリから車で3時間ぐらい、サン・サバンはさらにそこから1時間ぐらい(高速がないので)かかって漸くたどり着いた場所です。街には、そうな~んにもない。唯の物凄い田舎町。Photo

教会もこんな感じで、どんな田舎にいっても必ずあるような、全然目立たない教会です。地球の歩き方の親切なガイドがなければたどり着けない場所。ただ、その小さな小さな教会の天井には、地球の歩き方によれば(出典はいつもこればっか)、ロマネスク絵画最大のモニュメントといわれる36枚に及ぶ旧約聖書のエピソードが書かれている(「ノアの方舟」「バベルの塔」など)。1100年頃に描かれたこの絵を研究して世界に広めたのが、何と何と日本人の吉川逸治さんなのだそうで、日本とも縁がある絵画です。ある意味、フランスで唯一(世界でも?)、日本人が海外で世界遺産登録に貢献した場所なのかもしれませんね。そう考えると、なんか凄い。

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さて、このどこにでもある教会、小さいんです。「本当にここに世界遺産あるんかい?」

と思わざるを得ないような場所。切符を買って教会の中にはいる。「付属教会」というぐらいでこの教会は付属なのでとても小さく、狭い入り口を入ったらすぐ、もう頭上にこんな感じでガイドブックそのままの絵画が展開されていました。

一部は剥がれていますが、残りははっきりと見えます。フラスコ画だから1000年も残ったのでしょうね。旧約聖書に詳しい方ならもっと感動出来たのかもしれませんが、僕は、「そうか、そんなに凄いのか」と思っただけでしたが。

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写真をとって、少し教会の椅子に佇んでみましたが、10分もすると飽きてしまいました。だって他にみるもの何にもないから。教会を出てみたけれど、周りに何にもないので、教会の向かいのCaféでコーヒーを注文。そこでガイドブックを読んだりして20分。だって、4時間もかけてきて、滞在10分は寂しいから。でも結局、1時間も持たず退却しました。帰りはポアチエにも寄らず、まっすぐ帰ってきました。この段階で、残りあと2箇所でフランス世界遺産全制覇(あくまで2002年版ですが、しつこい?)。・・・と一人ガッツポーズで帰ってきました。

こんな小さい場所も世界遺産になるんですね。また「小さな奇跡」、どこかでご紹介しますね。

2008年1月 6日 (日)

旅行第五日目:ケルン大聖堂

旅行第5日目:ケルン大聖堂

いつもアクセスしてくれている皆さん、いつも有難うございます。マンネリにならないように、色々な国の世界遺産をご紹介してゆくようにしますので、記事の感想や、ここの写真が見たいといったご希望を寄せていただけると嬉しいです。気軽にコメントをお願いします!!

さて、今回は、フランス国境をちょっと越えて、お隣の国ドイツに足を伸ばしてみます。個人的印象ですが、ドイツ好きの人って、傍で見ていても本当にドイツ好きですよね。熱狂的というか、ドイツの話をするときは、目がキラキラしています。親友の一人は、帰国後も日独友好の会等、大使館あたりが主催している会に参加して、国内でもドイツの方々との親交を深めている方がいます。ドイツに滞在して、ドイツの方々に触れるときっと、骨の髄までドイツの素晴らしさが染みて来るのでしょうね。僕は数箇所しかドイツを訪ねていませんが、「ワイマール憲法を今でも確実に守る国民」、という印象です。というのも、フランスに暮らしていると、As in Rome, do as Romans do(郷に入れば郷に従え)というわけで、赤信号でも車がいなければ道路をわたちゃたりすることがありましたが、ある時ドイツのどこかで、やはり狭い道で、車が全然来ていない場所だったのでフラフラと渡りだしたのですが、その途端、「No Red(赤信号だろ!)」と見ず知らずのドイツ人に叱られた事があります。確かにその場所では、僕ら夫婦以外はキチッと信号を待っていました。ちょっと反省しました。そういえば、高校時代の政治経済の先生がかつてドイツに行った時に、「意気投合したドイツ人とバーで浴びるほどビールをのみ、ドイツ人2名と3名で肩を組んで深夜の道をフラフラと歩いていた時、道路を横切ろうとしたら、両側のドイツ人が突然立ち止まって、その先生一人が道路を横断して振り返ると、深夜の誰もいない道路で、酔っ払っているドイツ人2名が、信号が青になるのをまっていた。びっくりした」という話をしていたのを思い出しました。これがゲルマン魂なのでしょうか???

いきなり無駄話から入りましたが、今日はケルン大聖堂です。感動の第一話(一人で感動している)では、モンサンミッシェルを取り上げ、地平線の彼方にブチッと見えてきた時が感動的と綴りましたが、ここは、その逆。列車でケルンに向かい駅をおりると、目の前に157mの聖堂がドーンと立ちはだかっている訳で、選択の余地もなくいきなり感動させられます。あまりにも近いので、写真的にはいまいちでしょうか?

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今回は、あまり時間が無いなかで訪問したので、遠くまで歩いていって全体が綺麗に写る地点から撮影が出来ず残念です。この聖堂、1248年に着手し、1880年に完成という気の遠くなるような6百年もの時間をかけて完成した聖堂で、それゆえに時代時代のいくつかの建築の特徴が混在していると聞いたことがあります。ここも2回訪ねましたが、初めて訪問したときのアルバムのコメントには、「この聖堂は6世紀をかけて完成。この9年後に完成を見るエッフェル塔が27ヶ月の短期間で完成したことを考えるとき、人類の技術力の進歩に目をみはるおもいがします」と記した記憶があります。600年の月日をかけて完成したというと実感がないですが、スペインのサクラダ・ファミリアが、まだガウディの設計の18本の塔のうち、まだ8本しか完成しておらず、完成迄にはあと200年かかる(宗教的な建物故、国が予算をつけることができず、寄付とか募金とかで集まった資金を元に建築しているので、遅々としてすすまないということらしい???)という実例を目の当たりにすると、なんか納得してしまったりします。

さて、このゴシック式の聖堂、ガイドブックにも書いてあるように内装も素晴らしく、ステンドグラスのはめ込まれた窓が圧巻。ライン川からみる教会は圧倒的な存在感を誇っています。フランスの教会は、どこかお洒落な感じがするものですが、この教会は「質実剛健」を地で行っているような、宗教的な重厚な感じがあふれ出ている教会です。感動という意味では、この教会のすぐ隣にある、ローマ・ゲルマン博物館に飾られている「ディオニソス・モザイク」というローマ時代の住居跡がとても印象的でした。ローマは前回書いた南フランスにとどまらず、こんな北の地までその文化を広げていたのかと感動させられるからです。

あまり重量級の遺産ばかりを訪ねていると、みんな疲れてしまうでしょうから、次回はあまり有名でない小ぶりの遺産にスポットライトを当てて見ます。

2008年1月 4日 (金)

休息:フランス人 Oui ou Non (No.2)

休息:フランス人Oui ou NonNo.2

カルナックという地名をご存知でしょうか? 太陽信仰の遺跡とも言われている巨石群がある街です。イギリスのストーンヘンジが日本では有名ですが、ストーンヘンジは道路沿いに突然現れる高さ5mはあろうかというストーンサークル。150mぐらいの、いわば

「場所」です。これに対し、ブルターニュにあるカルナックは、場所というよりは、これはもう「地域」「地区」とでも言うべきもの。直線距離7Km(確か?)に渡って巨石が一列に並んでいることから、宇宙船の飛行場だったのでは、などといわれる壮大な場所です。

イギリスのストーンヘンジは巨石の上に、石の蓋が乗っかっていて、それはそれは宗教行事的な匂いがする場所で、神秘的な感じが髣髴としており、僕も大好きです、僕らが行った時丁度、巨石の彼方に大きな虹が地面から高く伸びていて、それは息を呑むほど神秘的だったことを覚えています。唯、最近、あの石は後世になって改めて積み上げなおされたと聞いて、ネッシーのインチキに次ぐ、第二のガッカリだったわけですが、とまれこうした人為的な行為に比べ、カルナックの巨石群は、積み上げたりという行為があまり見られず、唯延々と巨石が並んでいるばかりです。なので、きっと話題性がない為、知名度も今一つなのでしょうか? でも、延々と続く7㎞の巨石群、頭の上に聳え立つ5mはあろうかという巨石を見ていると、「古代の人はいったい何がやりたかったんだろう」という思いが沸いてきます。人々の心を突き動かしたのは、やはり目に見えないものに対する畏怖の心、つまりは「信仰心」と呼ばれる心だったのでしょうか?

NHK風に初めてみましたが、残念ながらカルナックはなぜか世界遺産でないので、今回の世界遺産特集では取り上げられていませんので、ついでにちょっと書いてみました。フランス人Oui ou Non第二回は、ここブルターニュのフランス人です。車の旅行はいいです。好きな所に行けるし、ツアーと違って、大好きな場所に10分の自由時間しか与えられないバス旅行とも違い、気が済むまで好きな所に好きなだけ滞在できるし、そうした我侭な旅行がデザインできるから。ただ、フランスは大きい。車で走り回るには大きすぎる。過去に夏休み・冬休みに3回ほど車で大旅行をしましたが、好きな所を車で回ると、大体3000㎞ぐらいの移動となります。つまり、6泊の旅行をするとしても500m/日。つまり一日中走ってる感じになるので、楽しいけれど、運転手は気が抜けません。・・・と言う訳で、このカルナック旅行は、確か週末を含む3連休に電車旅行をしました。昔の話しで、もういつ行ったかという記憶も定かでないほどの昔です。

愛用の地球の歩き方によれば、カルナックの巨石群までは駅から数キロ。歩く距離ではないので、タクシーに乗りました。初めての地というのは、いろんな事が不安になりませんか? 僕らも、タクシーで巨石建造物群の中に運んでいってもらい、帰りにタクシーが来なかったらどうしよう? そもそも流しのタクシーってあるの(パリにはありません)タクシーが来なくて、夕方になってトボトボと、何キロと歩くはめになって、途中で行き倒れたら「巨石建造物の生贄になってしまう!!」という畏れが沸いてきて、タクシーの運ちゃんと交渉。「タクシーで巨石建造物周りの半日観光したら幾らかかる?」金額は覚えていませんが、巨石建造物の生贄になるリスクに比べれば、無視できる金額だったと思います。そんなわけで運ちゃんに頼んで、この数㎞に及ぶ広範な巨大遺跡群を案内してもらいました。

    

これは正解。なんたって地元住民かつ、案内を商売にしている運ちゃん。ちゃんと抑えるべきポイントを心得ていて実に効率よく回ってもらいました。お昼になったのですが、この運ちゃんは正解と思い、昼食時間が過ぎたらまた迎えに来てもらう約束で一度別れました。確か「代金は、最後でいいよ。」っていって「じゃ、また一稼ぎして戻ってくるからね」と、プーって行ってしまいました。「まてよ、僕らがこのまま雲隠れしてしまったら、踏み倒せるわけ?何でそこまで怪しき初対面のアジア人を信用できるの????」と家内と2人って唖然。やっぱり田舎の人は人を疑わないんでしょうか? 逆にこうなると真面目な日本人は、絶対踏み倒したりしない訳で、定刻に待合場所到着が遅れて「ん、逃げられた?」なんていらない心配かけては申し訳ないと、時間ばっかり、気にしながら食事をした思い出があります。

そして定刻、フランス人は人に家に呼ばれたら30分遅れてゆくのが礼儀!などと教えられるぐらい時間についてはおおらかな国民性なので、ちゃんと定刻にくるかと思いきや、キチッとやってきて、僕らが「トンずら」することを考えてもいないかのように当然のようにドアを開け、案内を続けてくれました。半日観光が、結果的に1日観光となり、夕刻宿泊先のキブロンの街まで送り届けてくれました。と、「夕食どうするんの?」と運ちゃん。「いや、決めてないけど、どこかその辺で。」「じゃあ、僕の馴染みの店あるんだけど、そこにゆく?」と運ちゃん。怪しい。「運ちゃんとレストランがグルになって観光客をカモにする」という話はよく耳にする失敗談だし。でも、そんな悪い人に見えないし。そもそも店知らないし。で、「少しでも変な申し出があったら、断ればいいじゃん。値段が出ているものだけオーダーしていれば、ふっかけられても断れるし。」との家族協議(約30秒。即決!)で、結局連れて行ってもらうことになりました。

いかにもブルターニュの田舎、大西洋の荒海にもまれた港町という感じで、華美なかざりもなく、地元の人の生活感がムンムンするなかにある普通の店でした。中にはいって、慣れないフランス語メニュー(当然、フランス語のメニューしかない。英語のメニューなんて頼んでも、英語って何?とか言われそうな感じです。)を見ていると、頼んでもいない

キール(カシスを白ワインで割ったフランスの代表的食前酒)が運ばれてきました。「あ、やっぱりぐるか?危ない、危ない。これは、頼んでいないってキッパリ断ろう」と、「あの、これ注文していないので結構です。」と勇気をだして下手なフランス語でキッパリ。

絶対受け取らないぞ。と、心に誓って、店の人の次の言葉を待ちました。

当惑したような店の店員さん、「え、でも、これはあちらのお客さんのオーダーなんですが」

と。「あちらのお客さん???????。」って誰??「キブロンに知り合いなぞいない。怪しい、怪しすぎる。ここで受けたら負け。」と僕ら。お勘定のときに、「え、知り合いのサービス?なんの話ですか?飲んだんだからちゃんと払ってください」って言われたら抗弁できないし。やっぱ、海外旅行って怖いね・・・で、「え、知り合いなんていません。どの方ですか?」と勇気を出して食い下がると、「え、あの、カウンターの方が・・・・」

と店員。どこ?誰?といわれる方角に行ってみると、なんとさっきの運ちゃんが、カウンターでビールを引っ掛けている。そばに行くと、「いやいや、さっき車降りてからさぁ、ちょっと車停めてみてたらさぁ、僕の薦めた店に入ってくれたじゃない。なんか、嬉しくってさ。だから、それ僕からのお礼ということで!」と運ちゃん。               

                                                                     

本当に、キールを2杯ご馳走してくれたんです。食事が終わる頃には、もういなくなってしまっていた運ちゃん。なんか、格好いいでしょ、運ちゃん。田舎のフランス人って本当に人情に篤くて、優しいですよね。遠く大西洋の町、ブルターニュのキブロンで、出会った旅の一幕を記憶を辿ってご披露しました。皆さんもどうか、田舎に歩を進めて、田舎の皆さんの温かさに触れてみてください。フランス観が変わるかも? というわけでフランス人Oui ou Non。今回もOui体験でした。

アクセスしてくれている皆さん、ちょっとフランス人談義で話に花を咲かせませんか?

いい話、泣ける話、僕も聞きたいです。書き込みお待ちしています。次回は、また世界遺産に戻って、どこかの「人類の奇跡」をご案内いたします。A bientot!

2008年1月 3日 (木)

旅行第四日目:オランジュのローマ古代劇場

旅行第4日目:オランジュのローマ古代劇場

初めてリクエストにお答えしてフランスの世界遺産2003-4年版地球の歩き方のNo.11「オランジュのローマ遺跡」をご紹介します。今回はフランスを飛び出してドイツ辺りの旅をしようかなぁと思っていましたが、それはまた今度。オランジュ、アルファベットはOrangeそう英語のオレンジです。ちょっと脱線しますが、フランス語では、Eはエではなく、ウと発音します。Aは英語みたいにアだったりエだったりしないで、必ずアです。なのでOrangeはオレンジではなくオランジュとなります。よく知っているところでは、Potageはポタージュ。です。ついでに、さらに大幅に脱線しますが、私が'89に初めてフランスに出張で行った時、まだフランス語などまったくアラビア語と同じぐらい、訳わかんねぇ言語だった頃、食事に入ったレストランのメニューの中の「Potage」が読めず、「このポタゲって何?」と隣の人に聞いて失笑され、それ以来出張中のあだなが「Mr.Potage(ポタゲ)」。出張が終わって、出張中の資料を社内便で送り返すとき、あて先を僕の本名の変わりに「○○Division Potage-san」とふざけて同僚の人が書いたのですが、しばらくしてからパリ支店の総務課のフランス人の人が僕らのところに来て「社内ルールで食品は送れません」と言ってきたのですが、その意味がわからず、「いや、送るのは書類だけで、食品なんて送りません」と片言の英語で答えたら「だってここにPotage(ポタージュ)って書いてあるじゃん」と言われ大爆笑になったことがあります。

気がつくと本題からずれていましたが、ここで立てなおしますので、呆れず読んでください。さてオランジュ。ざっくり言えば地中海よりちょっと北、かつて「プロバンスの12ヶ月」という本が日本で爆発的に売れて有名になったプロバンスの中の都市です。そう、この頃はどこへ行っても日本人観光客があふれていました。ついでにちょっと脱線しますが、フランスで、故障のことを「アンパン」といいます。(トレビアに出せそう?)書くとEn Panne。プロバンスのどこか(アルルだったか?)で、家内がトイレに行っている間、トイレのそばでまっている間「En Panne」と張ってある自動販売機でジュースを買おうとしている日本人の中年女性がいました。お金を入れても入れても戻ってくるのですが、それでも「おっかしいわねぇ」といいながら10回ぐらいやっているので、たまりかねて「あ、それ故障してますよ」と教えてあげたのが運のつき。「あんた、日本人?」から始まって、関西弁で怒涛のごとく山のようなその観光地に関する質問を浴びせられ、これにはまいりました。日本の観光客・・・・元気です。この手の話題では、パリではおもろい話がいくらでもありますが、また機会があったら。

さて、本題。旅3日目のポン・デュ・ガールのすぐそば、車で1時間ぐらいでつく、ローマの奇跡、オランジュ。この地の古代劇場は、その保存状態の良さでものすごく有名。細かい数字は地球の歩き方から写しますが、長さ103㍍、高さ36㍍の巨大な壁面を有する古代劇場跡は、2000年前の状態がそのまま残っている奇跡的な遺跡。これは世界遺産を乗っても誰も異論がないところ。この壁面の一部が窪んでいて、そこの時の皇帝アウグストゥスの巨大銅像が殆ど傷つかず残っています。これは写真に銅像のアップを載せますので、ご覧ください。屋外の劇場、2000年の雨風にさらされてきた銅像が今でも綺麗な形で残っているのは圧巻です。

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でも、不思議なんです。どうして今まで、2000年間、無傷なのか。普通、古代の銅像っていうのは、例外なく鼻はかけているものと相場が決まっているのですが、ここは指の一本まで完全体、です。「保存にかける地元住人の情熱の産物」なのでしょうか。でも、それにしては、この古代劇場、現在でも利用されていて今でも音楽祭が行われていますし、僕らが行った時も、おそらくお芝居のセットなんでしょうか、巨大な「お面」を吊り上げるべく上から吊るそうとしていたのですが、その吊り上げる場所がなんと、皇帝の銅像の場所。作業員が皇帝の銅像に手をかけんばかりの位置で作業しています。縄がひっかかったら、銅像の指の一本ぐらい簡単に折れてしまいそうな感じ。

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でも、銅像にカバーをするでもなく、囲いをするでもなく、そのまま作業しているんです。よく2000年間無傷で来たなぁ(指がおれて繋ぎ合わせたりなんて事はきっとあったのでしょうが)と思わざるをえません。遺跡を永久に保存しようという意識があるのか、ないのか、なんだかよくわからない光景でした。なんだか「オイ、オイ」とアウグストゥスが苦笑いしているような感じがしました。残念ながら、客席を写したいい写真がなくてUp出来ないのですが、円形の石の客席が数十段続いていて、規模から言えばパリ・ガルニエのオペラ座より大きいのではないでしょうか? 客席に座ってすこし古代に思いを馳せると、当時のフランス人が「Bravo!」と海鳴りのような歓声をおくっている姿が一寸浮かんできました。尚、この近くにあるカエサルの凱旋門(プロバンスでの勝利を記念して作られた門)も世界遺産です。

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フランスの南は、本当にローマの遺跡一色。これ以外にもアルルの古代闘技場跡、アビニオン歴史地区などが世界遺産に指定されています。この古代闘技場跡は、・・・・いつか機会があったらご紹介しますね。

この記事をお読みの方で、フランス世界遺産の記事のご希望があれば、投稿してください。

手元にある写真やなけなしの知識をご披露させていただきます。では、次はどうしようかな、ちょっと考えます。

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