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2008年2月

2008年2月29日 (金)

休息:フランス人 Oui ou Non (No.7)

✎質問

そこで質問です。「フランスでは、自動車の事を何かに例えます。、何でしょう?」

正解は・・・・・「Poubelle(ゴミ箱)」です。これ日本のテレビのクイズ番組で昔見たことがあります。最近のフランスはだいぶ変わったと思いますが、僕が始めて赴任でいった時のフランスでは顕著にその傾向が見て取れました。ある時、知り合いが「あ、送ってゆきましょうか?どうぞ、どうぞ、あ、ちょっとちらかってますけど」と車の後部座席のドアを開けてくれたのですが、それはもう紙くずやら、マクドナルトの紙袋やら・・・で座るスペースがないんです。もう、度肝を抜かれました。「こ、これはまさにPoubelle」。

✎何でもあり。

別の知り合いの車は、サイドミラーが取れかけて、ブラブラぶら下がっていました。それでも平気で運転していました。ある時、きっとサイドミラーとれちゃったんでしょうね。

サイドミラーが嘗てついていた場所に、お化粧のコンパクトを針金で巻きつけていました。

曰く、「見えりゃ、いいのよ。見えりゃ」と。まだ、あります。別な人はガソリン注入口の蓋が取れていて、なんと雑巾を丸めて詰めていました。「引火しないんかい?」

また、ある時、ユーロースターで北駅についてタクシーに乗ったときの事、絶句しました。フロントグラスに走る稲妻のようなガラスのひび。「これで走るんかい。これで危なくないのかい?割れないんかい?ていうか、これで捕まったりしないんかい?」という心配をよそに運ちゃんは狭い道を、それは物凄い勢いで走りぬけてゆきました。

そう、フランス人にとっては、車は「下駄」だっだんですね。

✎発見

只、一つ分かったこともあります。フランスでは車の事故があると、保険会社が損傷状況を検分するまで、そのままの状況を保つ必要があります。僕も、昔、車をチトぶつけてライトを割った時、保険会社が来るまでの1週間が待てず、ライトの場所にビニールを貼って走った事があります。その時、「窓にビニール張って走っている車の意味」が分かったりしました。

こうなるともうOuiとかNonとかいう問題ではなく、これはもう一つの「文化」です。

2008年2月27日 (水)

旅行第十四日目:ストーンヘンジ

旅行第十四日目:ストーンヘンジ

それでは列車は今日はドーバーを越えてイギリスに向かいます。で、突然脱線します。

(今回もあまりネタがないので。。。)

ユーロトンネル

イギリスとフランスを結ぶ道は3種類。①ユーロースター②カーフェリーそして③ユーロートンネル。ユーロトンネルを使って車は対岸に渡る事が出来ます。さりとて、車がトンネルの間を疾走するわけではないんです。車は車専用の列車に乗せ、その列車がドーバーの海底を横断する訳です。その間約20分。乗客は自分の車の中でその20分を過ごします。

トイレはありますが、別に列車の中にCaféがある訳でもありません。まぁ、20分だし。

この列車しょっちゅう遅れます。確か1時間遅れると、トンネルの無料券を贈ってきます。

僕の友達の知人は、毎回この無料券を使って対岸迄買い物に行き、その帰りにまた1時間の遅れで、また1枚無料券をゲット・・・って感じて殆どお金を払わずにいったりきたりしているそうです。何とおおらかな・・・だからいつも赤字”!!!です。

✎で、ストーンヘンジ

                                                                     

ロンドンから西に約200キロ。紀元前2500年~2000年に作られたというこの遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。(出典:ウィキペディア)との事ですが、これもかつてご紹介したモン・サンミッシェルみたいに、地図を頼りに、「確かこの辺だよなぁ」と車を飛ばしていると、何にもない国道沿いの草っぱらに突然現れました。周りに観光地らしいものは何もなし・・・切符売り場の隣にちっちゃなCafé があったぐらいで、世界に名だたるストーンヘンジで、こんなもん???って感じでした。Photo

日本だったら、きっと「立派な土産物屋、ストーンヘンジの出来るまでの解説ビデオが見られる建物、そして小洒落たレストラン」が横に必ず建てられているでしょうから、それを思うと、何か拍子抜けしましたが、それがまたイギリスらしさか。

                                   

✎あ、虹が。

でも、遺跡は、それはそれで立派。3~4メートルもあろうかという巨石が並んでいる、そして石の上に石が乗せられ、何か神々しい雰囲気が漂っていました。「巨石の上に巨石を乗せて、形を整えたのが、後世のことだった」なんて当時は知らなかったから、素朴に2000年前のケルト人の姿に思いを馳せて感涙に咽んでいました。折も折、まるでドラマのように巨石から大きな虹が。2000年前のケルト人との対話が出来たような気がしました。

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                                                                                                                                                                                                              知り合いからもらった太陽光を浴びたきれいなストーンヘンジを載せておきますね。

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2008年2月23日 (土)

旅行第十三日目:カルカッソンヌ

旅行第十三日目:カルカッソンヌ

南フランスの中程に位置するカルカッソンヌ、この時の旅行は、アビニオンから始まりル・ピュイ、カシスと南仏をぐるっと回り、このカルカッソンヌに到着しました。ルピュイは僕の希望、カシスは地中海の海水浴場で、息子のお楽しみ場所、そしてカルカッソンヌは家内の訪ねてみたい場所でした。

La Cite

カルカッソンヌは全長3km52の塔に囲まれた要塞は、今や夜になると鮮やかにライトアップされ、お伽の国のお城のようです。かつてフランス・スペインの間にあり、国を守る要塞の役目をしていたこの城が、今や日々、訪れる観光客を温かく見つめています。(ガイドブック風;出典はいつもの地球の歩き方。こればっか)

✎ライトアップの魔術

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昼間に到着したカルカッソンヌ。先ずは昼にOne Round。これはこれで素敵でしたが、やはり夕刻になってライトアップされたお城は、息を呑むほど綺麗でした。城の中から見るより、オード川から見上げる城が素敵です。ライトアップの魔術です。

エッフェル塔もそうですが、フランスはこの光線の使い方が秀逸です。

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城の中は、まぁ普通の観光地で、土産物屋が軒を並べており、これはどこも一緒。むしろ城の外壁の上を歩き回ると、なんかアスレチック気分で楽しいかもしてませんね。

✎ところで、バースデーケーキそれぞれ

ここで一寸余談。この日は丁度子供の誕生日。レストランに頼んで、「なんかバースディケーキらしい飾りつけてもらえますか?」と頼んだ所、そこは子供好きの田舎フランス人、快諾してくれました。食事が終わってケーキの時間。そうなんです。フランスでは(欧州全般?)ロウソクではなく、線香花火のような火がパチパチはねているような花火をケーキの上に刺してきました。所変われば・・・ですね。息子は、最初ドッキリ、そしてニッコリでした。

✎おまけ

折角地中海近くまで来たので、ちょっと寄り道。カランクってご存知でしょうか?長~い時間をかけて地殻変動が起こって内陸に海水が入り込んで出来たのがカランクです。その為、水が限りなく透明で、波もなく息を呑むほど美しい場所でした。もっともこの波のないカランクにたどり着くまでカシスの港から20分ぐらいが、荒海の中だったので、ついた頃にはもうげんなりしていましたが。

カランクっていうのはこんな感じです。

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外海は大波

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カランクは鏡のような内海

2008年2月21日 (木)

番外編III:珠玉のレストランII (Arpege)

珠玉のレストランII(Arpege

A la Cuisine

‘A la Cuisine!’・・・で、有名な「料理の鉄人」。この「フレンチの鉄人:サカイさん」と最高フレンチ対決を行った事で有名になったのがこのアルページュです。この戦いはサカイさんの勝ち。只、20世紀最高レシピには、アルページュのシェフのレシピが選ばれるという型どおりの演出でしたが。

✎それはアンバリッド(アレキサンダーIII橋脇)のすぐ傍

このアルページュ。どこにあるかというと、パリに来た人は一度は見ているアンバリッド(廃兵院と呼ばれ、ナポレオンのお墓を祭っている)という塔の天井部が金キラキンに光っている塔の近く、ロダン美術館のすぐそばにある小さなレストランです。比較的モダンなインテリアですが、それでもしっとりと落ち着いた地味で明るい色合いの内装で、流石3☆と納得せざるをえない店でした。3☆だからといって、どこも重厚な重みのある店だという訳ではないのですよね。

✎帰国祝い

この日は僕の帰国祝いということで、当時の部下が企画してくれ、2家族でやってきました。食事は王道の牛肉料理を食べたと思いますが、料理も王道という感じで、これぞフレンチという感じだったのですが、この店を思い出すと食事よりも、レストランのホスピタリティを思い出してしまうのです。と、いうのも食事の途中で、シェフが各テーブルを回ってきて、お客さんに挨拶をしてくれたのですが(☆付レストランでは、これが一つのお作法になっています。Jaminでは流石にロブションは来ませんでしたが。)、この時、「いや、実は僕が帰国となるので、帰国前に絶対この店に来てみたかったんですよ。満足です」と偽らざる気持ちを僕がシェフに伝えました。こんな有名なシェフと会話が楽しめただけでも「幸せ♪」でした。

✎え、シェフが?

そして、目が醒める程美味しいメインと、デザートを堪能した後、僕がトイレに行って戻ってきたその時、僕の席に何と何とそのシェフが座っているではありませんか。料理人の白い調理服を脱いで、確か普段着のままで座っていたと思います。驚いて席に戻ると、そのシェフがWineBottleを手に持って、微笑みながら、こんな事を言ったのです。「今日、貴方が帰国の前に、『どうしても僕の店に来たい』と僕の店を選んでくれたのが嬉しかった。さぁ、帰国を祝って呑みましょう。」と、何と、3☆シェフが「振る舞い酒」で僕の帰国を祝ってくれたのです。なんというサービス精神。懐の広さ。「いつか僕も日本に店を開きたいと思っています。」なんて話までしてくれました。Arpegeと聞くと、この光景が蘇ってきます。こういうシェフとの気取らない会話が楽しめるのがフレンチの☆付きの素晴らしさなんだと思います。もっとも彼ほど、気さくに客席に飛び込んでくれたシェフは他には居ませんでしたが・・・

料理自体の説明は、地球の歩き方グルメ編にかなわないので、僕はむしろ、レストランでのこぼれ話、思い出話といったこの辺りをこれから書いてゆきたいと思っています。各々の店には個性があって、それがまた楽しいです。次回番外編IIIは、2☆レストラン、ラ・セールです。

2008年2月19日 (火)

休息:フランス人 Oui ou Non (No.6)

休息:フランス人 Oui ou NonNo.6

人種の坩堝

「アメリカは人種の坩堝」と若い頃習いましたが、フランスも十分「人種の坩堝」だと思います。それは、歴史的にフランスが、北アフリカのマグレブ諸国の宗主国だったことに起因するのでしょうが、フランスには北アフリカ系の方が多く、驚くほど流暢なフランス語を話します。・・・なんて、民俗学の話ではなくて、もっと単純な話です。フランス人は外国の文化をいとも簡単に受け入れる事が出来ます。例えば、フランスのTV局は圧倒的な数のアメリカの映画を放送するので、フランス語放送の比率が一定比率以下にならないような法律が出来たぐらいです。同じように、日本のアニメが人気になると、シャンデリゼ通りのVergin Megastoreの書籍コーナーには夥しい数のフランス語版の漫画が並びます。僕も見たことがないような新しい漫画や、昔懐かしい漫画が。因みに「シティハンター」は「ニッキーラルソン」、「めぞん一刻」は「ジュリエッタ・ジュテーム」、ルパンIII

「エドガー・カンブリオラージュ(こそ泥)」という全然関係ないタイトルとなります!

で、寿司ポリス登場

今は、「漫画」と「寿司」の時代です。かつて東銀通りと呼ばれたSt.Anne通りには昔から日本食屋が10軒程乱立していますが、今ではそれと直角に交わるPetits Champsには日本食料理が10軒近くならんでいます。曰く、「寿司元」「横浜」「スンハウス(これスシハウスの間違えです、多分)」「Satoshi」エトセトラ・・・ひどいところでは、すし屋がむかい合って建っています。あまりにも、いい加減な日本食屋が増えたので、正規のすし屋とインチキ寿司屋を区別する「寿司ポリス」と呼ばれる機関が誕生し、「正規の寿司屋」を認証しているという噂も聞きます。

✎で、すき焼きが。

この流れでしょうか、日本人が多く居住するパリ16区では、フランスの肉屋でも、すき焼き用の薄切り肉を売ってくれています。(フランス人家庭ですき焼きを食べながらWine呑んでるとは思えませんが。) 昔、肉屋の前を歩いていたら聞いたこともないフランス単語が聞こえるとおもったら「シャブシャブ」「アー、シャブシャブ」と僕らに話しかけていた事がありました。彼らはどうやって、薄切り肉を作るかというと、彼らには「ハムの塊から、ハムをスライスする機械」があるので、この機械を使ってで半分凍った肉をスライスする訳です。

✎ここで、フランス文化?

ある時家内が、いつものようにすき焼き用に肉をスライスしてもらっていたのですが、

その時、肉屋のアンちゃん、よそ見でもしていたのでしょうか、肉をスライスする機械で自分の手も一緒にスライスしてしまったのです(>_<)。「オララーーー」痛そうなアンちゃん、それでも作業を続け・・で、ぽたぽた血を流したまま、自分の血がついたままの肉のスライスを、何事もなかったように紙につつんで「ハイ」って渡してくれたそうです。

「ハイじゃないだろう。渡すかぁぁぁぁぁ。自分の血がついた肉を……….普通、最初から、やり直すだろぅぅぅぅ」と思いながらも、まだ言葉が出来なかった頃、それを言葉に出来ず持って返える羽目となりました。家に帰ってから、肉が擦り切れるまで洗いに洗い、焦げるまで焼きに焼いた事は言うまでもありません。これを「おおらか」というか「無神経というか」

この辺りの「肉食民族」の感覚は「草食民族日本人」である僕らにはどうもよく分かりません。この辺りのフランス人の感覚はNonですね。で、今日のフランス人体験、これはもうNon体験でした。

2008年2月17日 (日)

旅行第十二日目:ポンペイ

旅行第十二日目:ポンぺイ

                                          

ポンペイへ:

初めて列車をイタリアに走らせます。場所はポンペイ。「紀元79824ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25に完全に地中に埋まった。」

忽然として地球上からその歴史を消したこの街。2000年の時を経て、今日、お届けします。このポンペイ旅行の発端は、ローマ。ローマは一回目のフランス派遣のとき、91年に一度来ていたのですが、2004年になって、「帰国前にこのローマの遺跡を子供に見せたい」という事になり、再度、イタリアに渡ったとき、「僕らの行った事ない所にもいきたいよね」という話になり現地ツアーを申しこんだ次第です。

そこは時間が止まっていた:

2日間で完全な灰の中に埋まってしまった街なので、紀 元直後の当時の文化がそのまま灰の中に埋もれていた事が凄いのです。例えば、①お風呂(イタリア人は綺麗好きで風呂が発達していますが、暖かお湯、水と入る順番毎に整備されたお風呂)②風呂場の横に設置されたBar  ③商店街 ④会議場など、当時の生活が完全な形で時代に侵食されずに残っているのは感動的ですらありました。特に驚いたのは、パン屋。実際に煉瓦で作られたパン釜の中には、焼いている最中のパンも残っていたそうです。ローマ時代の形が完全に残っていたのは、ここポンペイしかないわけで、その意味でも重要な、これは本当に世界遺産だと感じました。

では、ご一緒に:

それでは今日は、このブログ上で観光旅行をしていただこうと思います。人物が写っている写真しかないので写真をご提供できない場所(パン釜)もありますが、悪しからず。

文章を短く・・・の趣旨に則り、あまりコメントはしません。写真をお楽しみくださいませ:

    概観:遠くから見るとこんな感じ

Photo

                                         

                                                                                                                                                                  

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   紀元前2世紀から経済の中心地だったバジリカ。今で言う株式取引所とか。

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③ローマ時代の町の宗教、市民、経済活動の中心地だったフォーロ

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④商店街:このブロック毎にお店が入っていったそうです。何か現代のレストランモールと何も変わらないやん。

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    Bar: 風呂場の横のBar.ワイン甕を入れる穴の開いたテーブルがおもしろかった。

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⑥水道管

なんと当時からこんな水道管が家々には整備されていたそうな。

左が現代のもの、右が当時のもの

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2008年2月15日 (金)

旅行第十一日目:ヴェズレー

長げーんだよ。

1回の文章が長すぎ。読んでると疲れちゃう。」という友達のコメントがありました。そーですよね。なるべく無駄話はへらすようにします。只、色々書いていると、色々思い出されてつい・・・このブログは、ヨーロッパ拾余年の思い出を詰め込んで、思い出の宝箱にするつもりですので、時々長くなりますが、お許しを。

✎地味遺産:ヴェズレー

その意味では、今回の遺産、最適です。何といってもネタがない。10回目でガウディを紹介したので、バランスをとる意味で、今日は「地味遺産のヴェズレー:サン・マドレーヌバジリカ聖堂」をご紹介しますが、ここ、あまり書く内容がないのです。ご紹介は、地球の歩き方から引用させていただくと、ここは言わば「栄光と挫折・復活の世界遺産」とでもいいましょうか。Photo

この聖堂には、あのマグダラのマリア(ダビンチ・コードで話題になった)の遺骨が祭られているとされ、人々が押し寄せ、巡礼地の出発点となったのですが、その後、本物の聖遺骨は南仏ではないかという説が有力になって、その後凋落の一途。その後、歴史的価値が認められて世界遺産となったという「栄光と挫折・復活の世界遺産」となった訳です。

低い丘をゆっくりぶらりぶらりと登ってゆくと、その頂点にこの教会が見えてきます。決して大きな教会ではないけれど、何か威厳がある教会です。教会の地下室に下りていくと、マグダラのマリアの遺骨といわれるものが飾られている場所があります。別に遺骨が見えるわけではなく、彫刻のようなものが飾られているだけでしたが、中に遺骨がはいっているのでしょう、きっと。Photo_2 Photo_3 Photo_4

ほら、今回は短かったでしょ。ネタがないから。これぐらいの長さがいいでしょうか?

                                                                       

                                                                       

                                                                                                                                                            

                                               

おまけ

これじゃ、あんまりつまんねー。という人は続きを読んでください。話題は全然変わって、この間のレストラン・ネタの続きを披露します。レストラン名は、Poincare59

(記事にしてくれれば、自分が行った店の名前を忘れなくてすむ。・・・なんていう友達がいるので)

ここはLe Parcという4☆のHotelにあるのレストランです。パリの夏は乾燥し、気温も30℃以下。春から秋にかけては、Hotel中庭にテーブルを出してそこでゆっくり食事を楽しむ事も出来ます。これはお勧め。

最近事情は分かりませんが、2年前には面白い企画がありました。それは、もらったメニューを開けると、そこにはメニューに2種類の印が目に入ります。一つはロブション・レシピ。一つはアラン・デュカス・レシピ。つまりこの店は、一つの店で、20世紀の巨匠と21世紀の巨匠のレシピが同時に楽しめる奇跡の店です。例えば、ロブションの前菜に、アランのメインっていった感じで。・・・今も続いているといいのですが。

もうその味は素晴らしく、何人かご案内した方にも喜んでいただけたと思います。

住所は、Poincare通り59番地。そう、まんまです。エッフェル塔の川向。シャイヨ宮を背にして右側。放射線状に広がる道路の右から3本目のPoincare通りを歩くこと、45

様々な国旗がはためくLe Parcが見えてきます。ここはあまり高くもなく、味は一流。

コスト・パーフォーマンスはいいと思いますよ。お勧めです。

2008年2月13日 (水)

番外編II:珠玉のレストランI (Jamin)

番外編II

Jamin(ジャマン)・・・あのロブションの開いた小さい3☆のお店

出会い

20世紀の巨匠、ジュエル・ロブション。恵比寿ガーデンプレースに、タイユバン・ロブションという超高級レストランがあることはご存知だと思います。「本当に良い料理をつくるのは、とても体力が要るから。」と50歳ぐらいで一度、3☆レストランを辞め、その後、「気軽な料理を」と作ったビストロ風のレストランがまたあっという間にミシュランの☆がついてしまう程の、まさに巨匠。そのロブションが初めて3☆をとったレストランが、Jaminです。実は、この店、僕が生まれて初めて行った3☆なんです。

この店との出会いはあまりにも突然でした。ある日、地元の銀行に勤める知り合いから電話がありました。「実はね、1ヶ月前から予約していた3☆レストランがあるんだけど、予定していた知り合いが都合悪くなっちゃって・・・で、もし宜しければ、ご一緒しませんか???」

話を聞いてみると、それがJamin。あのロブションの店だというのです。そもそもロブションといえば、フランス人でも伝説扱いされる「20世紀最高シェフの1人」・・そもそも予約がとれないし、あまりにも崇高で、食事をするなど考えた事もありませんでした。まさに夢のまた夢。予約は確か電話から数日後。我が家は突然のパニック。「何を着ていけばいいの?」「ネクタイは要るの?」「お店にあうワンピースなんて持ってない」「メニューが読めない」・・・なんて一世一代の大騒ぎをしている内に当日。

知り合いと落ち合って、レストランへ。「ええと、美味しいは、C’est bon、え、単純すぎ?じゃ、Merveilleux? お勘定はL’additionだったっけ」なんて、もう大混乱。

え、ここ?

巨匠のその店はなんと我が家から徒歩5分のところにある、ちっちゃなレストランでした。

場所?それは、丁度エッフェル塔の川向かいのシャイヨ宮から徒歩2分ぐらいでしょうか。

多分、車で何度か前を通った事がある、でも全然目立たないお店でした。10席もないような小さなスペース。言われなければ3☆だなんて分からない。。。つまり、正真正銘の「実力3☆レストラン」ということでしょう。さて、今にして思えば、何でなのか分からないのですが、写真がないんです。その後、行った3☆レストランでは写真を撮った場所もあるのですが、何せ初めての3☆、写真を撮る余裕もなかったということでしょうか。

気合だ。

ところで、僕らを誘ってくれたご夫妻。1ヶ月前に予約して、1ヶ月間待ち続けていたわけで、気合の入り方が全然違いました。待っている間、研究に研究を重ねていた訳で、そこのお勧めやら、メニューに載っていないデザートやらを熟知していて、それはそれは助かりました。そのご夫妻は言葉もとても達者で、その「語学力と気合」で、僕らは随分と自分では出来ない経験をさせてもらいました。

✎ロブスターMille-feuilles(ミルフィーユ)

Mille Feuillesとは「千枚の葉っぱ」の意味で、カタカナではミルフォイユ。お菓子のミルフィーユーはここから来ているのですが、ミルフィーユーと発音すると通じないかもしれません。普通は、パイ生地の間にクリームを挟みこんだお菓子ですが、ロブションのミルフォイユといえば、立派な前菜。知る人ぞ知る定番メニューだそうです。細かく刻まれたロブスターがトマトや香草の間に何層にも亘って見事に敷き詰められた秀逸の一品でした。ビジュアル的にも、繊細な味も、限りなく上品。僕が食べた前菜の中のBest5には必ず居続ける料理でした。

✎メインは子羊

もう18年前の記憶ですので、定かでありませんが、これも知り合いが調べ上げてきた、お勧めメニューでした。確か蜂蜜かなにかで味付けをしたような子羊ではなかったでしょうか?

当然、僕以外3名はこのお勧めを注文。ここで、僕のサービス精神が邪魔をしました。「折角きた3☆で、みんなおんなじメニューというのもつまらないよね。じゃ、僕は魚で」結局、自分が食べた魚のことは何にも覚えていません(^^)。(美味しかったのは確かですが)

家内から1切れもらった子羊の味だけ覚えています。子羊の臭みも当然のことながらまったくせず、とても上品な味でした。間違えなく、生まれてこの方、食べたことのない物凄い美味でした。こういうときボキャ貧の僕はどう表現していいかわからず、あの味覚が表現出来ず、残念です。

出てくる、出てくる・・・

で、デザート。クリームブリュレ(焼きプリン)を頼んだのですが、この店のプリンはちと特別でした。普通は表面のキャラメルがパリパリになっていて、それを割ってそのしたのクリーム地のプリンを食べるものなのですが、この店のキャラメルはパリパリでなく、丁度、生とパリパリの間くらいの焼き加減。この加減が絶妙で、生くさくもなく、それでいて生のトロミが味わえ、プリンの上に敷かれたバニラ粒の1粒1粒が見えるような、それは繊細な料理でした。

これで終わりかと思いきや。ここで、知人の奥さんが、ボーイさんに質問。「あのぅ。メニューにはないんですけれど、蜂蜜のアイスクリームありますか?」この蜂蜜のアイスクリーム、あるエッセイストが、「もし死ぬ前に1品好きなものを食べていいといわれたら、これを注文する」とエッセイに書いたことで有名になったと、その奥様に聞かされた一品なのですが、ボーイさん、いやな顔一つせず「Bien Sur Madame!(もちろんでございます)といって運んできてくれたのが、本当に蜂蜜色のアイスクリーム。濃厚な、それでいてまろやかな甘さの気品漂うアイスでした。

その後も、Petits Fruitsと呼ばれる食後のお菓子が一杯運ばれてきたのですが、もう日本人の胃袋は限界水域。「でも、食べたい。でも、入らない。でも、食べたい」という4名の食への執着のオーラがボーイさんに通じたのか、結局「あ、宜しかったらお持ち帰りください。」と言ってくれたので(と、いうか無理やり言わせたのかも)、宝物のように大切に大切にティッシュに包んで、帰宅。

ありえない夢のような時間をすごしました。18年経ってもまだ時々我が家の話題に上るこのレストラン。こんなに印象に残って、心に潤いが生まれるなら、一生に一回ぐらい、こんな贅沢をするのも悪くないですよね。

ミニからキャデラックへ。

Jaminがミニなら、今度のレストランはCadellacか。」となんかそんなような事をロブションが言ったのが(うる覚えですいません)、その後開いたロブションのお店。その名もロブション。Jaminを閉め、代わりに開いたレストランが同じ16区にあります。重厚な室内。図書館のような威厳ある調度品。この店がロブションが引退を宣言した後、あのアラン・デュカスに引き継がれ、彼のセコンド(手ごろな値段のレストラン)レストラン、Poincare59となります。このお店のことは、機会があったらまたお話しますね。

次の番外編IIは、料理の鉄人と戦ったシェフの店、3☆のアルページュです。

2008年2月10日 (日)

休息:フランス人 Oui ou Non (No.5)

今回はOui au nonではなく、僕のみたフランス人一般事情をお伝えします。

目と口で戦う国民か? 

                            

先回車の話題を提供しましたが、パリで暮らしていると車の話題には事欠きません。そこからフランス人らしさが透けて見えるから面白いです。

ある時、あれは確か、車の定期点検の帰りだったから、シャトレー(劇場が固まって建てられている街、真ん中に噴水があり、確か小さなスフィンクスの口から水が吹き出ている噴水が面白い)あたりの道を走っていた時のことです。状況から想像するに、どうもバイクと車が接触したか、ニアミスだったか、なんかそんな状況のようで、バイクを降りたアンちゃんと、車から降りたおっちゃんが激しく言い合っています。

                                                

それ程広い道ではなく、横をすり抜けられるスペースもないので、後ろは車が渋滞。僕の車もその渋滞の中にすっぽりとはまってしまっていました。それ程急いでいたわけでもなかったので、いわば「高みの見物」と洒落込んでいました。ちょっと脱線しますが、フランス人の合理性、それは理由が分からない事にはすぐ怒るが、理由がわかるとじっと耐えるところです。例えば、信号が青に変わって、1秒でも発進が遅れると、「理由がない遅れなので」1秒でもクラクションを鳴らされる事が多いですが、縦列駐車で渋滞している時は、縦列駐車という明確な理由があるので、じーとクラクションも鳴らさず、みな良い子で待ちます。今回の喧嘩も、怖いからか、「ニアミス」という「理由が明確だから」かはわかりませんが、みんなジ―と喧嘩が終わるのを待っていました。

✎殴り合い勃発?

                        

車のおっちゃんは、車のドアを開けたままで、車から降り、車とドアの間の位置で車から降りて、アンちゃんと1mもない距離で、ドア越しにガンを飛ばしあいながら、言い合いをしています。1分ぐらい言い合いが続いたでしょうか。何か言い放った(遠くにいたので、聞こえませんでしたが)アンちゃんが、両手で勢いよく車のドアをど~んと閉めたのです。間にいたおっちゃんは当然のことながら、ドアと車の間のサンドイッチとなり、ギャって感じになりました。

「まずい。これは殴り合いになる」と思っていたのですが、 おっちゃん、挟まったままそれでも言いたいことを言い続けると、車に乗ってブーンと帰ってしまいました。アンちゃんもそのまま何事もなかったかのように、消えてしまいました。どうも地元の人に聞いてみると、こういう展開であまり殴りあいになることはなく、目と口で喧嘩するだけだそうです。つまり、言いたいことを言えば、それで気が済んでしまう。極めて便利な感性を持った国民のように見えます。

✎そういえば、思い当たる・・              

  

そういえばフランス人の部下に仕事を頼むと、「出来ない。だって、今俺は、これをやっていて、これも忙しいし、その後これだってあるし。。。」と自分がいかに忙しいかを滔々と語ります。(でも、そのくせ、5時になると帰るし・・・)最初は、説得するのに相当なエネルギーがかかりましたが、だんだんと、そうか「言うだけ言えば満足するのか」と分かってきました。だから仕事の指示をする時は、相手がいかに忙しいかを滔々と説く間、話をさえぎらずに、大げさに頷きながら、最後まで聞いてやり、「そうか、そんなに働いているのか。それはすまないなぁ。で、すまないついでに、これも頼むよ」って感じで頼むと両手を上に上げて、オーラーラーとか言いながら、結局はその仕事を引き受けてくれるのでした。そう、言いたい事を言えば、納得する・・・

      

「駅の切符売り場で、レストランで、Cafeで、ガソリンスタンドで」ありとあらゆる場所で、みんなが言いたいことを言い、いい終わると先に話が進む、いわばそういう儀式を意識しないでやっているのが、フランス人、いやパリ人なのかもしれませんね。そして、次第にフランス人のマダムの眉間には、皺が刻み込まれてゆくのでしょう。

表向きは従順で、Yes Sir!とか言いながら、5時過ぎのパブで「あの日本人の上司に、こんなつまらない仕事おしつけられたよ。ばっかじゃねーの。」と同僚とくだをまいているイギリス人の部下(居酒屋に於ける日本のサラリーマンに酷似)、その場ではいろいろいうので、こちらも相当エネルギーを使うが、一度納得するとわりとすんなり仕事するフランス人の部下。。。どっちがいいのでしょう?どっちもどっち??

お腹に溜めておく事を潔しとしない、いやできない国民、僕は「(感情を心の中で押し殺せない)ババ抜きが出来ない国民」と呼んでいますが。。彼らがババ抜きやったら、Jokerのカード引いたやつは顔真っ赤になってすぐバレちゃんじゃないかと思います。

無論、そうでない良い人も一杯知っていますし、全員が全員ではありませんので、悪しからず。あくまでも、一般印象論ですので。フランス人とお付き合いする時は、先ずはオーバーアクションで相手の言うことを聞いてあげてください。きっとそれが幸せなパリ生活を呼ぶでしょう(^^)

次回は、リスエストにお答えして、番外編第2弾、パリのミシュラン3☆紹介をいたします。乞うご期待。

2008年2月 4日 (月)

旅行第十日目:ガウディの奇跡

✎ついに10回目

このブログもついに10話目になりました。いつも定期的に訪ねてきてくれている皆様、ありがとうございます。10回目を記念して、今回は久しぶりにちょっと大物、あの「ガウディの建造物群」をご紹介させていただきます。ちっと長い文章になりますが、お付き合いください。

青春のリグレット

旅を重ねていると、「しまったなぁ、あの時、もうちょっと・・・」というような思い出って出来ませんか? 例えば、「あの時もっと天気がよければ」、とか「あんなに風が強くなければ」というような自然現象ではなく、「自分がもっと工夫していれば」、という類いの後悔です。僕の場合、バルセロナの旅行で、今でも残念な思い出があります。それが今日のテーマ、スペインの世界遺産「アントニオ・ガウディの建造物」を見たときの事です。いや、別に人から見れば本当にどうでもいいことなんですが。ガウディについては、今更説明するまでもないと思いますが、あのえもいわれる独特の形状の建造物を数多く建造した天才です。僕が最も尊敬する建築家です。それだけに、どうでもいい事が「凄くリグレット」だったわけですが、これが主題ではないので、最後に少し触れます。

✎それはガウディ

僕がガウディの建造物に最初に触れたのは、まだ自分が海外と何の接点もなかった若い

頃、あれは、ジャッキ・チェンの映画「スパルタンX、ん、プロジェクトA??」(忘れました)です。その映画の中で美しい女優さんと、あの世界的に有名なサグラダ・ファミリア教会で遭遇するシーンがあったのです(サグラダ・ファミリア教会の中腹に佇む、スラッとした美女、その長いブロンドの髪が風に揺れる、それをみたジャッキーチェンが一目惚れしてしまう。という話です)。唯、僕はその女優さんの美しさよりも、そのサグラダ・ファミリアの造形の美しさに魅了された記憶があります。その時、何故か「いつか、この建物を訪れてみたい」と漠然とですが、心に決めました。

✎時は流れ・・・

それから何年経ったか、会社の自己申告で「ニューヨーク勤務希望」という希望が大きく外れて何故かパリ勤務となり、そのパリ勤務が軌道に乗ってきた頃、このバルセロナ行きの夢が実現しました。それまでもいろいろな所に観光に行きましたが、単体の建造物を訪ねるのにこんなにワクワクするような期待もって訪問したのは初めてでした。まるで地面から這い出て来たようなこの建物。こんな強烈なインパクトをもって迎えてくれた建物は前例がありませんでした。見上げるとこんな感じです。

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よく見ると一つ一つは繊細な彫刻なのですが、それを総合すると、まるで生命体のような形状になります。

✎登ってみると

狭い塔を登りました。なんとなくとうもろこしを連想させるこの塔、先頭はとても細く、階段も極度に狭いものになります。まぁ、落っこちる事はないように出来ているのですが、窓(といってもガラスなし)から下を見下ろすと、目の前にもう剥き出しになった頂上部分の飾りつけの彫刻が見え、「ここから落っこちたら」と一応は考えちゃうほど華奢なつくりになっています。「こんな夥しい数の観光客が訪れる事など想定していないだろうから、強度とか大丈夫か??」とつい考えてしまうような建物でした。でも登っているとき、「あのジャッキーチェンの映画のシーンの撮影はたしかこの辺りかな?ついに本当にこの場所に来たなぁ」といつにない感慨に浸ったのを覚えています。

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✎それはそうと。。。

僕が登ったのは、それが許されている塔の1本ですが、全部で12本の塔があります。ところがガウディの原画では、塔は全部で18本建つことになっていて、何と何とあと完成迄には何百年かかるそうです。「曾孫の代でようやく完成??何で?」「現在の技術を持ってすれば数年でしょ?」と思うでしょうが、それは技術の問題ではないのです。説明によると国は特定の宗派の建造物に肩入れできないので、教会に寄せられた寄付だけで建造が続けられているため、この財政上の問題でこんな気の遠くなる時間がかかるそうです。こういうところが欧州の楽しさ、不思議さですよね。

✎「だから、何がリグレットなんだよぅ?」

まだ覚えてくれている方、お答えします。もう一度、2つ目の写真を見てください。これは、この塔のある側面からとった写真です。これはこれでとっても気にいっています。ただ、僕はこの反対側から写真を撮りたかったのです。でも、出来なかったんです。と、いうのも確か、池かなんかがあって離れた場所からの撮影が出来ず、結局、至近距離からの見上げるようなアングルの写真(最初に掲載したもの)だけしかとれませんした。ところが、数ヵ月後、友達のパリバ銀行に勤めていた人が偶然にも、サグラダ・ファミリアを訪ねたときの写真を見せてくれたのですが、何と反対側のまさに僕の取りたかった写真をとっているではありませんか!その事を聞いてみると、「あぁ、これ池の反対側に回ってとったんだ。」と。「そうだ、池の反対側に回り込めばよかったんだ。急ぐ旅でもなかったのに、何で思いつかなかったんだぁ、ぐぁぁぁぁぁ・・・」・・・これが僕の青春のリグレットです。もう一回行けばいい事ですが、帰ってきちゃうと簡単にゆける場所じゃないしね・・・

✎おまけ

10回目にふさわしくない纏まりのない記事になってしまいましたね。すいません。この後は、ガウディのそれ以外の建物の写真を載せておきます。各々にたっぷり思い出があるのですが、長くなるので。ご静聴ありがとうございました。

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↑カサ・バトリョ

←カサ・ミラ

2008年2月 2日 (土)

旅行第九日目:サン・テミリオン地区

旅行第九日目:サン・テミリオン地区

お肉続きの後は、やはり蕎麦?

どんなものでも長く続くと飽きたりしますよね。重たい恋愛ドラマをいくつか見たら、「のだめカンタービレ」みたいな軽いドラマを見たくなるし、ステーキ、すき焼き、トンカツと続けば、たまにはザルそばも食べてみたくなりますよね。このブログも、ル・ピュイ、理想宮と重たい観光地を載せたので、今回はさらっと「サン・テミリオン」をご紹介します。サン・テミリオンと聞いて、フルボティの赤ワインを思い浮かべた貴方、正解です。でも、そのサン・テミリオンは世界遺産だと言う事を知っていたでしょうか?今日はそんなサン・テミリオンを歩いてみたいと思います。

✎まずはボルドー

大西洋岸に位置するボルドーはガロンヌ河岸に発達したワインの宝庫。世界有数のワイン、を生み出す玉手箱です。ボルドーの中で有名なのはメドック地区、特にオ・メドックです。

「ボルドーの葡萄はメルローの方が生産量が多いけれど、カベルネ・ソービニオンのほうが有名なのは、カベルネから作られるワインの方が圧倒的に知名度が高いから。」という説明は僕が始めて読んだワイン本に書いてあった記載です。La TourMouton Rothchild

など世界的に有名なワインはこのカベルネ・ソービニオンから作られるという事だそうです。・・・なんてゆう薀蓄はどうでもいいのですが、このボルドーはガロンヌ川の周りに延々に広がるブドウ畑がとても印象的です。「なるほど、これがボルドー、この広大な土地から世界が驚嘆するあのワインが造られるのか・・・」と変に納得できるのですが、その意味からいうと、このサン・テミリオン、これも世界的に有名なワインなのですが、この街(畑というべきか)は意外や意外!・・とても小さいのです。「小さい丘の上にちょこっと建てられた教会と、その周りにチョッピリ広がった葡萄畑」そんな感じの場所です。でもなんか浮世の喧騒から離れ、「人類が静かに清い心でワイン作りに励む為に神が与えたもうた聖地」という印象でした。

サン・テミリオンに到着

ボルドーから1時間ぐらいでしょうか?地図を頼りに(車にはナビなし)車を進めると道は次第に狭い田舎道に。そして次第に山道に・・・。地図では標高差はよくわからないので「ほんまにこの道でええんか」などとブツブツ言いながら走りました。流石に「世界遺産」なので行き先の表示は整備されており、その指示通りに車を進めると、車はダラダラ坂を登って丘の頂上へ。森を抜けると丘陵が見えてきましたが、その丘陵がすべて葡萄畑でした。こんな感じです。

St_emilion

ところで、観光ガイドにサン・テミリオンがのっていると、写真には必ず写っているのがこの壁なのです。

Stemilion

これ元有名な建物らしいのですが、なぜ有名かは分からず仕舞いでした。(どなたかこの壁の意味をおしえてください)。その近くにひっそり教会が立っていて、そこに教会の鐘が据え付けられた塔があります。この塔に登ってみると、田舎の家々の傍らに延々と広がるサン・テミリオンの葡萄畑が広がり、えも言われず美しい景色でした。

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そしてMaison du vin de Saint-Emilionというワインショップがこの教会の傍にありました。このショップの品数といえば・・・なんて書いていると地球の歩き方のパクリとなるので、ここで脱線します。

無名のシャトーを訪ねる。

実は、ここに行く前に世界的に有名なMouton Rothchildのカーブ(ワインセラー)を訪ねたのですが、これが、いや決して悪くはないのですが、あまりにも商業化していてちょっとガッカリしちゃったのです。まず中にはいると、小さな映写室に通されて、社長のサクセスストーリーを10分ぐらい見せられて、「ハイハイ、あんたは偉い」という感じになります。型通りにワインの製造工程を見せられ、最後の楽しみの無料試飲ですが、まぁ、高いワインだから仕方ないのですが、あまりにも若い前の年のワインを試飲させられ、そして何か買わないと帰れない雰囲気・・・で、高い。結局、Petit Mouton Rothchild という割安版を買って退散。「う~ん、もう少しだな。不完全燃焼。もう少し感動できるカーブ巡りがしたい」って、手元のワインのガイドブックを探して、いきなり電話攻撃。だめもとでかけて3軒目ぐらいかな、「あぁ、どうぞ」と快諾してくれたカーブがこのChateau Faugeres(フォージェール)。延々と続く畑の中を、電話で聞いた道を迷いに迷いながらたどり着きました。

Chateau_faugeres_2

Chateau Faugeres(可愛い愛すべき畑)

夏休みシーズンなので、お客は誰もおらず、ドイツ人従業員が僕らだけの為にカーブの中を案内してくれ、そればかりか、実際の葡萄畑に連れて行ってくれて、色々説明してくれました。「葡萄が少しでも多く太陽の光を浴びるように、葡萄の粒を覆う葉っぱの位置をずらし、午後になると太陽の光が差し込む方角に葡萄の粒を動かす。そうやって一つずつ、子供を育てるように葡萄を育てるんです」なんていう話を聞きました。そうやって愛して愛して育てる葡萄だから、おいしいワインが出来るんでしょうね。結構、感動しました。

葡萄畑の写真を少しアップしておきます。

Photo

Chateau_fugeres_1

✎新企画【今日のレストラン】

ブログの訪問者の方から、「レストランの話とかも聞きたいな。」というリクエストがあったので、この旅行で訪ねたレストランをちっと紹介します。

☆☆シャットー・コルディアン・バージュ

Chateau_bauge

ここは葡萄畑のど真ん中に建てられたシャトーがそのままホテルになっていて、そのレストランが当時はミシュランの2☆なのです。葡萄畑に囲まれて、それだけでも幸せな気分。

そこで贅の限りを尽くし、美食を味わいました。今日ご紹介したいのはデザート。子供はメインを食べ終わった時、「お腹一杯。デザートはもう入らない。」と言っていたのですが、運ばれてきた途端、吸い寄せられようにそれを手にとって、あっという間に食べてしまいました。

そのデザートとは

そのデザートとは幅3㌢、長さは20㌢もあろうかという細長いパイ生地に、キチッと2ミリぐらいの厚さに切られたイチゴがびっしりとそして綺麗に挟まっているミルフィーユの変形なのです。クリームの味も繊細で、味といい形といいその斬新さには、思わず拍手!でした。写真が残念ながらないんです。写真をとることすら忘れるぐらいの感動だったということです。流石2☆、必ず何かサプライズがあります。やってくれます。

これから、こんな感じでレストランもご紹介してゆこうと思うのですが、如何でしょう?

どうか、ご希望があったらリクエストの書き込みをお願いしす。もし、お手元に「地球の歩き方-フランス-」があったら、世界遺産を紹介するコーナーを参照していただき、紹介してほしい世界遺産をリクエストしていただければ、優先的にご紹介させていただきます。もっともいい写真がない場合もありますが。ご希望をお待ち申し上げておりますです、ハイ。次回はスペインまで列車を進めます。スペインファンの皆さん、乞うご期待。

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