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2008年7月

2008年7月31日 (木)

パリに来たなら;口コミ情報No.7

パリに来たなら;口コミ情報

No.7

またもお勧めレストラン編

先日は日本食屋のお勧めをしましたが、「Parisまで来たのに日本食っていうのも寂しすぎる」けど、「フランス料理屋ってどこにいったらいいか、分かんね~」という声にちょっと役に立てるかなぁと思うのが今回の口コミ情報。ここはルーブルやオペラから凄く近いところにあって、10軒ぐらいのフレンチレストラン、中華、イタリアン、ワインバーととにかく日本のフードコートのようにレストランが集中していて、かつ、それ程高くない。場所はここ。近くにあるMマークはMetroPyramidsです。Pyramidsというのは、例の「日本人のオアシス通り」の最寄の駅です。なので、昼はLai-Lai軒、夜はこの広場で・・・なんていうのも可能なわけで。如何でしょう?

www.cheznousparis1er.com/webpage/countycitymap.pdf・・地図つきです。

✎しっとこ情報

確認した訳ではないのですが、どうもフランス(パリだけ?)の一般的レストランは外に必ず値段のついたメニューを貼りださなければならない事(暗黙の了解?)となっているとの事。そういえば僕の記憶している限りでは、普通のレストランには必ずメニューが表示してあったと思います。従って、このMarche de St.Honoreの店を外から覗いて、値段ぐらいは分かると思います。メニューに英語の対訳がついている店も多いので、ある程度メニューも分かるし・・・・。そう、この中から選んで食事を楽しんでみてはどうでしょうか? 言い忘れましたが、日本食屋、韓国料理屋もありまっせ。

ちょっと短いけど、堪忍です。

2008年7月30日 (水)

旅行第三十六日目:コルシカ島

旅行第36日コルシカ島

✎初自然遺産

実は僕も全然知らなかったのですが、コルシカ島には自然遺産があったんですねぇ。今回取り上げたフランス世界遺産で初めて取り上げる自然遺産ということになりますね。コルシカ島は、兎も角も切り立った岩山で構築された島で、島中央は、それはそれは峻厳な山があり、島の真ん中東海岸にあるPianaは、この峻厳な岩山が「売り」です。この岩山が所謂「奇岩」で、それも半端でない数の奇岩があるため、いつからかこの奇岩に愛称をつけて呼ぶようになったのです。このPiana、延々と続く岩山の彼方に続く地中海の青い海。澄み切った空気の中、こんな峻厳な岩に囲まれた経験はなく、なにか宗教的な雰囲気さえ感じるような、崇高な空間でした。

Photo_20

✎奇岩様々

名前を知った上でみると「へぇ、なるほどね」という程度しか似ていないのですが、いくつかご披露します。最近、写真枚数になぜか制限があってこれだけにしておきます。例えば、最初のこれは、煙突。・・・只尖っているだけのような気がするけど。

Photo_21

次に、これ。言われてみればなんとなく見えなくもないけど、これは「Tribune(演台)」と呼ばれる奇岩。まぁ。このお陰で観光客が押し寄せているわけです。

Photo_22

✎食べ物ネタ

話しかわって、いつものように食べ物ネタです(単にウケがいいので!)。この地で食べたスパゲッティが、おそらく人生で最も印象的なスパゲッティです。多分、オリーブを練りこんで作った麺を茹でたスパゲッティではないかと思うのですが、麺自体に何とも言われぬ味わいがあって、絶品でした。コルシカ島は、直下のサルディニア島がもうイタリア領であるように、食はイタリア文化の影響を感じました。しかも海辺の街でもあり、魚介類が新鮮で、この麺と魚介類の合体した食事は最高でした。

2008年7月27日 (日)

旅行第三十五日目:フォンテンヌブロー宮殿

旅行第35日目:フォンテンヌブロー宮殿

地味遺産

わりと地味っぽく見えますが、フランスとしては歴史的に大事な遺産です。僕の記憶では、フォンテンヌブローはナポレオンが1814年エルバ島に流される前に部下に別れを告げた場所だと伝えられる場所です。だから、フランスの歴史の1ページを形作る建物という意味で僕は結構好きです。この場所。

Photo_7

✎色々学習

フランソワ1世からルイ16世まで7代の王が継ぐ次と建物を継ぎ足してきたそうです。宮殿脇の大きな庭園がなんか不思議で、色々な形の庭園があったのですが、なんでこんないろんな庭園があるか今日分かりました。ベルサイユ庭園を設計したノートルの大花壇、カトリーヌ・ド・メディチが造らせたディアナの庭園、イギリス庭園と色々な意味の庭園があったわけですね。

スイマセン。最近1つの記事に写真3つ載せると旨く行かないので、写真はUpしていません。

✎これが有名

ある意味でこの宮殿はこの一枚があればいいのでは。馬蹄形の階段。もし、テレビのクイズでこの宮殿はどこでしょう?というクイズがあったら、きっとこの部分を写すでしょう。それぐらい個性のある階段です。この階段の前でナポレオンは部下に別れを告げたそうです。

Photo_8

✎ちょと雑学

何故か覚えている文章があります。ナポレオンの台詞と言われている短い文章です。

Able was I ere I saw Elba.(エルバ島を見るまでは、私は有能だった)

え、ナポレオンが英語喋るか?・・・まぁ、それは置いといて、この文章は英語版「竹やぶ、焼けた」です。つまり前から読んでも後ろから読んでも同じ文章。因みにereは英語の古語でbefore

の意味です(今、英英辞典で確認しましたので間違いありません)。なんか、面白いでしょ?

いや、只、ちょっと思い出したので。

フランスには至る所にナポレオンの光と影が溢れていました。

2008年7月21日 (月)

番外編XIV:珠玉のレストランXIII: Le Grand Véfour

番外編XIV Le Grand Véfour (ル・グランド・ヴェフール

)

✎忘れてた

☆付レストランを中心に十二軒レストランをお伝えして来たわけですが、流石にもうネタ切れ?と思っていたのですが、前回の記事でオペラ座近辺を紹介してきていて、とんでもない大物をまだUpしていなかった事に気がつきました。その名はLe Grand Véfour。堂々とした3☆です。

✎場所

オペラ通りの脇、駅で言えばPalais Royal-Musée de Louvre。久しぶりに地球の歩き方を参照してみました。「創業当時の雰囲気が残る店内は、歴史的建造物に指摘されている。一時期、星を失ったことがあるが、ギ・マルタンの腕で3☆を取り戻した」そうです。この話は僕も知りませんでした。www.relaischateaux.com/vefour -

見てみてください。

只、この建物が歴史的建造物になる程の建物であることは納得できます。この建物は、Palais-Royalの一角に位置するこの建物。Palais-Royalとは、「あのルイ13世の宰相リシュリーが自分の館として建て、その後、ルイ13世に贈られ、時代が流れ、ルイ14世の弟オルレアン公の住まいとなった」との事で、この地に多くの思想家も住み、フランス革命はここから生まれたとの事です。

✎きっかけ

この世には「運のいい人」っていますよね。ここは、そんな「運のいい人」と一緒に訪れました。当時、1996年、この頃は、日本に帰国していたのですが、実は僕の会社が他社と合併する事になり、その関係の仕事でパリに長期出張していた頃でした。ご他聞にもれず、合併時のシステム統合は相当難易度高く、その関係で中々旨く行かず、ロンドンに出張していた当時の上司が非常事態という事で、パリに出張で来ることになり、態々来てくれるし、ゴマすりを兼ねてと予約したのがこの店でした。ところがこの上司が到着した日に、問題が全て解決し、その上司は「来てもやることがない」状態となり、結局この方は、パリ出張で、日中は只の陣中見舞いで終わってしまい、夜3☆レストランで珠玉の食事を堪能するだけして帰ったというわけで、本当に運のいい人です。

✎堪能

まぁ、上司と一緒でもあり、仕事の話で花が咲いて、この日は何を食したかは覚えていませんが、覚えているのは、この店、流石老舗、この店に訪ねて食事をした歴代の著名人の名前のプレートが各席に貼り付けられている事です。残念ながら僕の席に貼られているプレートは誰のものか分かりませんでしたが、こういう著名人のプレートがとても似合うほど、店の中も重厚な、さすが3☆というお店です。LunchSetがあってこれはそんなに高くなかったように記憶しているので、パリに来られる方は、このレストランのLunchを予約して、ここで食事をし、Palais-Royalを散歩し、ルーブルで絵画を堪能するなんていうのも良いのではないでしょうか?

✎余談

因みに日本人オアシス通りの先般の記事でご紹介した来々軒の2件先にある、「料理天国 遊」

という日本食屋には、なんとあの「ミッテラン大統領シート」があり、金色のプレートがあります。あの時、お店の方が興奮気味に語っていたことには、「突然予約が入り、当日は黒装束の大量のSPに囲まれて本物の(当たり前)ミッテラン大統領が孫娘と一緒に来訪して、食事を楽しんで帰ったそうです。あまりに緊張して、ふと気がついた時には、写真を撮ることも、色紙にサインを貰う事も忘れていたそうで、それでせめてもと「金色のプレート」を後日作成して貼り付けがあったそうです。この店の道路向かいには、札幌ラーメン2がありますが、ここには世界的指揮者小澤 征爾氏が、普通にラーメンを食べて「ラーメンはパリだよね」っと語っていたそうです。主題とは関係ない余談です。

2008年7月17日 (木)

パリに来たなら;口コミ情報No.6

前回、日本人のオアシス通り(Rue St-Anne)のレストランネタで盛り上がったので、パリに行かれる人向けのお手軽レストラン編をUpします。まずは日本人オアシス通りから

    来来軒;くるくる軒ではありません。らいらい軒と読みます。三菱東京UFJ銀行(あ~長い)の向かいの中華日本食屋です。そう、僕のHNLai-Laiはここからきているのです。

ここの麻婆豆腐丼は絶品で何度食べたかわかりません。ここのオーナーさんが美川憲一さんのお知り合いらしく、パリバーゲンバトルの後には美川さんがよく出没する店です。

バーゲンに来られた方は張り込んでみては。

    なにわ屋;Mumbleさんの言っていたうどん屋です。この店実は日本でチェーン店を展開している店ではなく、僕が居た頃の噂では、この店は香川県とパリしか店が無い本物の讃岐うどんの店で、僕の知り合いの讃岐出身の方が絶賛していました。

    北海道;Rue St-Anneをオペラ通りを背中にして歩いてゆくと最初に出くわす大通りがPetit-champsで、その道を右折し、すぐ最初の左折した小道に北海道があります。

僕が三田佳子さんに遭遇したのはこの店です。もの凄く一般的な日本食がそれないに美味しいです。肉野菜炒めとか、量が多くて旨いです。

パリのレストラン、いつもいつもそこにあるように見えるのですが、味が悪いとつぶれます。この通りに出来た日本食屋は1年持ちませんでした。だから、ここで店を構え続ける事は大変な努力だし、ここで商売し続けていることは大変なことなのでしょうね。

おまけ:先回のイスタンブールでアップできなかった写真を載せときます。

>イスタンブールにはトプカプ宮殿という宮殿があり、確かそこに飾られていた世界で第5番目の大きさを誇るダイアモンドです.。・・・大きすぎて帰ってオモチャみたいに見えました。

Photo_2

もとオスマン帝国が栄えた国、富の軌跡があちらこちらに輝いていました。

2008年7月16日 (水)

旅行第三十四日目:イスタンブール

旅行第三十四日目:イスタンブール

✏境界突破

旅に出て34日目。ついに欧州を飛び出します。と、いうのは言い過ぎで、「飛びだす」というより「はみ出す」というのが正確かしれません。場所はイスタンブール、欧州とアジアの接点、

嘗てはビザンティオン、コンスタンティノープルと言われ、いつも文化の中心、いや接点だった町です。ボスフォラス海峡を挟み、欧州とアジアが共存する、そんな街です。

✏スルタンアフメド・モスク(ブルーモスク)

スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかえて建造された、世界でもっと美しいモスクと言われているモスクだそうです。中に入るにはまるで日本お寺のように靴を脱いで絨毯の上を歩くのです。信者さんは絨毯に頭をつけて礼拝します。高~い天井には無数の電球がぶら下っていて、不思議な空間でした。尤も、この崇高な空間の中で、息子は持ってきたガンダム人形のポーズを色々つけては絨毯に置いたりして、この観光を喜んだのは親ばかりかもしれませんが。Photo_36

✏アヤソフィア

この建物が一番この街を象徴しているといって良いでしょう。元は東ローマ帝国時代の正統派キリスト教の大聖堂、それが時代が下ってオスマン帝国の時代となると、なんと聖堂は四方をイスラムの塔で囲まれたモスクに変身します。僕らを案内したトルコ人のガイドさんが熱く語った

話では、イスラム教徒はとても寛大で、教会をモスクに改修するとき、壁面の教会絵画を潰すのに忍びなく、復元できるように上に装飾をしたそうで、後日、壁面を剥がすとしたから教会絵画が現れたそうです。

Photo_37

✏海沿いなので、

ボスフォラス海峡に臨むこの街を思い出すと、いつも魚のサンドイッチを思い出します。日本の漁場のように、魚は焼き魚(いいにおいで街は満ちています。お醤油がほしくなる感じ)で、それをフランスパンのサンドイッチにして売っています。まさにアジアと欧州の合体。これもこの街の特徴ですね。第二ボスフォラス橋は日本人が建造したそうで、概してトルコの人は親日的な印象をうけました。何でも、トルコ人と日本人は民族学的には近いそうですよ。

2008年7月13日 (日)

旅行第三十三日目:北欧の町ベルゲン

旅行第33日目:北欧の町ベルゲン

いやぁ暑いですねぇ。今日は30℃を超えたそうです。それで、今日は気分だけでも涼しくと、急遽北欧の旅を入れてみました。それにしても暑いですねぇ。場所はノルウェー。大自然に囲まれたこの国、世界遺産の宝庫かと思いきや、あまり数がないのに先ずびっくり。でも、僕が訪ねた街ベルゲンがその中にあったので、なんか凄く得した気分。では始めます。

✎さぁ、涼しさを味わってください。

ロンドンからオスロへ。そこからバスで長い長い旅をしてそこから大きな船にのってフィヨルドを巡るのです。途中、素敵な滝を訪ねましたが、長くなるので、ここはフィルム早回しで、いきなりフィヨルドへ。さぁ、この写真から涼しさが伝わるでしょうか?

Photo_13

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✎事件発生

フィヨルドは鏡のような滑らかな水面ですが、外海にでるとかなりゆれます。その為か、ツアーは大きな船で回ります。その外海を悠々と航海していると、何故か突然のアナウンス「・・・大変なことになってきました」「ん?日本語。何で?しかも子供の声。」ツアーガイド(日本語の分かるノルウェー人)が驚いて走っていった先には緊急用のマイク。そのマイクを持って話をしているのはなんと僕の息子ではないか??(本人はふざけたつもり。当時5~6歳) この大きな船に日本人は僕らのツアーだけ。だから息子のアナウンスを分かったのもそのメンバーだけだったので、事なきを得ました。全員が日本人にだったらパニックになっていたかも。何といったって緊急マイクから「大変な事になってきました」ですから(*_*;)。

一瞬唖然としていたツアーの仲間も皆失笑。

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✎ベルゲン

ベルゲンは、ノルウェー語で埠頭の意味を持つ町。ハンザ同盟のカラフルな倉庫群が

世界遺産なのだそうです。

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2008年7月10日 (木)

番外編XIII:珠玉のレストランXII: Chez Pauline

番外編XIII:珠玉のレストラン

XII: Chez Pauline

狭い裏道に

オペラ近辺に来られた事のあるあなた、ちょっと目をつぶってあのあたりの光景を思い浮かべてください。正面には、そうオペラガルニエの威風堂々としたオペラ座。振り返ると突き当りは

Hotel du Louvreの瀟洒な建物。 そして日本人ならお世話になるサンタンヌ通り。この通りには嘗ての東京銀行(名前は変わりに変わっていまや三菱東京UFJ銀行;長い!センスない!)が入り口にあり、通り沿いには無数の日本食屋が軒をつらねる、そう日本人のオアシス通りです。

オペラ通りを背にして、銀行の前を通り過ぎると、そう、角に「札幌ラーメン2」その向かいがCaféがある四つ角があります。更に真っ直ぐいくと、これも派遣の日本人や、ツアー観光客なら多分一度はお世話になった事がある「レストラン・ひぐま」が見えてきます。(ここはねぎラーメンはお奨め)さて、このひぐま手前の狭い道をオペラ通りを背にして右に曲がると、ちょっと裏ぶれた感じの狭い通りに入ります。この通り中央の右手にひっそりと店を開いているのが、かつての1☆、Chez Pauline(シェ・ポレーン)です。

✎肉

まぁ、パリ赴任直後で、本格フレンチを知らなかった事を考えると、だいぶ差し引いて考えなければならないでしょうが、ここで食べたビーフは僕の人生のベスト3にはいると今でも思っている程、僕には鮮烈な思い出をくれた店です。あの時は、僕の勤める会社の人事部長巡回があり、

ちょっとしたしがらみで、店の支店長さん、副支店長さんと、人事部長と僕(まだ平課長)の4人でこの店で食事をしたことがあったのです。いつも剛毅に踏ん反り返っている次長さんが妙に取締役人事部長にペコペコしているのを見て、その滑稽さに「この人もサラリーマンなんだなぁ」とお腹の中で笑いながら食したビーフステーキ。まるで豆腐でも切るように、ナイフが「スー」と通り、おいしそうな肉汁がサーとお皿にしたたる感じで、その食感と味付けの良さに、思わず接待を忘れて一人「食の世界を数十秒旅した」思い出があります。そう、当時はここはミシュランの☆1でした。流石、ミシュランの☆つきと感動したものです。

✎その後

その後、何年か経って、新しく買ったその年の最新版ミシュランを何気なく覗いて見ると、この店が☆付きリストからは消えていました。「味が落ちたんだろうか?」「オーナーさんでも変わったのかなぁ」と妙に気になり出張者の接待に何度かこの店を使ってみました。お店の肩の力が抜けたのか、それとも僕が高級レストランを見てきたからか、あまり気取らない店になっている印象を持ちましたが、それでも、味は落ちていないので、出張者から大そう喜ばれました。このぐらいの所で、あまり気を遣わずに、周りの評判とかミシュランの☆を頼りにしないで、自分の舌一つで味覚を楽しみ、自分なりの評価をしてみる・・・・なんていうのも楽しいかもしれませんね。

✎そのお店はここ

Chez Pauline

  • 住所: 5,rue Villédo, Paris 75001, France

  • 電話:  01 42 96 20 70

  • ファックス:  01 49 27 99 89

そういえばその時の人事部長さん、その後、某商社の社長さんになられた偉い方なので、「食の世界の一人旅」なんてしてないで、僕ももう少し、スリスリっとスリよって置けばよかったと思ったりしますが、これぞ「あとの祭り」。いいです。僕は、食事も人生も自然体で行きます。

それにしてもあのビーフステーキ・・旨かったなぁ。

2008年7月 8日 (火)

パリに来たなら;口コミ情報No.5

口コミ情報No. 図らずも、世界遺産を大いに語ろうという趣旨を大幅に逸脱し、なんとお菓子情報で盛り上がったので、そののりで今日の口コミ情報は「お菓子」です。今日のお菓子は「マ・カ・ロ・ン」そうマカロンです。

✏マカロンとは?皆さん、マカロンとは?って説明できますか?当然ながら僕は出来ないのでWikipediaに頼ってみました。「カトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世の元へ嫁入る際にイタリアから持ってきた菓子。粉砂糖とアーモンド、ココナッツ、胡桃などの粉末をメレンゲで軽く膨らませオーブンで焼いて作られる焼き菓子で、クリームをはさんだものもある。クッキーと違い小麦粉は使用しない。」だそうです。

✏まずは基本今マカロンをParisで語るならば、La Duree (ラ・デゥレ)。シャンデリゼ通りにある有名なお店.です。ここではちゃんとした食事も出来ますよ。ここのマカロンはTake Outも可能。ここでお菓子を買って帰って、凱旋門の周りで食べるなんてお洒落!ではないでしょうか?

http://www.laduree.fr・・・先ずはここに来てください。 (音します。注意)

✏次に上級者コース

ちょっと捻るとここはTrocadero。そうエッフェル塔の川向の高台の町です。このトロカデロ広場は、そこにあるCaféで食事やお茶をすると目の前にエッフェル塔が聳えたち、えもいわれぬ美しさなのですが、この広場でエッフェル塔を背にして右側にあるお菓子屋兼CaféがChez Caretteです。このお店はマカロンコンテストで優勝した(確か’05年)お店です。日本で知られているのかどうか知りませんが、ここは知る人ぞ知るcafé.ここからエッフェル塔を眺めながら夏の一時、秋の一時を過ごすのは素晴らしいでしょうね。あ、そうだ、ここでマカロンを買ってエッフェル塔正面の噴水まで降りていって芝生に腰掛けながら、マカロンを楽しむ・・・なんて結構幸せかも。

http://www.resto-de-paris.com/2008/02/un-cafe-place-du-trocadero.html やってみてください。

2008年7月 6日 (日)

旅行第三十二日目:シェーンブレン宮殿

✏旅の印象って?

よく家内とも話すのですが、旅の印象ってやつは、自分で車を運転したり、電車を乗り継いだりして目的地に辿り着くような旅行は鮮明な思い出が残るものですが、パックツアーというのは、効率よく廻れていいのですが、あまりに全てがすんなり行ってしまうので、記憶に強烈に残る印象が少なくなったりしませんか? 地図を頼りに迷いに迷いながら漸く辿り着いた場所なんていうのは、なんだかとっても「有難い」気がして、忘れがたい場所になります。

✏世界遺産の定義とは?

このオーストリア観光は確か現地ツアーに参加したんだと思います。その結果、あまりよく覚えていません。まぁ15年位前だから、仮に覚えていても忘れてしまっているかもしれませんが。確かバスにのってシェーンブレン宮殿とヴェレブデーレ宮殿を廻ったんだと思います。このシェーブレン宮殿は世界遺産。ヴェレブデーレ宮殿は遺産ではないんです。この差はどこからくるのか????? なんて考えながらこの記事を書いています。

シェーンブルン宮殿とは?

シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂

から西に直線で約5kmの位置にある。 市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。 庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779頃から公開されている。

建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。 また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという見晴台のような建物があり、ここからは周囲が一望できる。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にした。彼女が好んでいた色というわけではない。

とのこと。外壁に金を塗ったくっていたら、金閣寺のお化けみたいな建物が出来ていた訳で、あなおそろしやですね。マリア・テレジアは偉大なり。・・です。

その概観はこんな感じです;

Photo_12

ベルヴェデーレ宮殿

ベルヴェデーレ宮殿(ベルヴェデーレきゅうでん、独Schloss Belvedere)とは、オーストリアウィーンにあるバロック建築宮殿

もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、当時の代表的な建築家であるヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに、夏の離宮

として造らせたものである。171416年にかけて下宮(Unteres Belvedere)、172023年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設された。

プリンツ・オイゲンの死後、1752ハプスブルク家マリア・テレジア

に売却された。

現在はオーストリア絵画館になっており、オーストリアで2番目に大きな美術館である。

また、この宮殿の構内に作曲家ブルックナー

が晩年を過ごした邸宅がある。

Photo_13

やっぱり世界遺産の基準は良く分かりません。遺産であろうとなかろうと、まぁ、単純に自分の感覚にまかせて感動していればいいのでしょう。

2008年7月 2日 (水)

旅行第三十一日目:シュテファン大聖堂

旅行第三十一日目:シュテファン大聖堂

30回を過ぎて、さぁあと何回続くか? 出来れば最後までお付き合いくだされば嬉しいです。今日は、オーストリア。シュテファン大聖堂・・・この、大聖堂は、大聖堂は、えと大聖堂は・・・・・何も思いつかない。15年以上前だし、訪問したのは。またWikidediaの助けを借ります。オーストリア公ルドルフ4世の命で12世紀から建造に着手されたこの聖堂、あのアマデウス・モーツァルトが結婚式をした教会だとは今日初めて知りました。この歴史的遺産も戦火の影響を受けたのが、直接の被害は免れたそうです。

概観は御覧の通り。

Photo

107メートルの高さを持ち、寺院では世界3番目だそうです。これも知りませんでした。つまり何~にも知らなかったわけです。只、地球の歩き方を読んで唯一知識を持って望んだのが、この大聖堂の展望台から、第三の男の舞台となったという大観覧車が見えるという事だけでしたので、塔の上から懸命に探して、見つけて写真に収めたのがこれです。かなり見づらいですが、大地の果て、右約1/3あたりに見える筈ですが。

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教会の中はこんな感じです。僕から見ると中にはいるとどの教会も同じように思えるのですが。個性が出るのは、祭壇のデザインとステンドグラスでしょうか。ここはこんな感じでした。いつか教会の内装だけを集めて比べてみるのも楽しいかもしれませんね。

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さて、話は変わりますが、食べ物の話。オーストリアで有名なお菓子は? そう、それは知る人ぞしる「ザッハトルテ」これは、ザッハホテルが作ったケーキが有名になったものだそうです。で、ミーハーな我々はザッハホテルを態々見に行ったりしました。ご参考までに写真アップしておきますね。

Photo_4

オーストリアの旅はもう一日続けます。では。

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