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2008年11月

2008年11月25日 (火)

旅行第五十日目:パリ(セーヌ河岸)・・・No.1 エッフェル塔

✎まずはこれ

最初はこれでしょう。エッフェル塔。これはもう説明の必要はないでしょう。なので、諸々のエピソードをお伝えしましょう。

✎エピソード1

皆さんがよくご存知のエピソードから。建築責任者のエッフェル氏は建物の建築技師ではなく、橋を作る専門家だったそうです。色々な経緯を経て、フランス革命100記念に、橋を垂直に立てたような鉄の塔を建てようということになり、彼が抜擢されたとか。当時はこんな高い鉄の塔は存在しておらず、パリの街の美観を損ねるなどと、その建設には猛烈な反対運動が起こったそうな。一般庶民ならどんなに反対してもあまり意味がないのですが、著名な有識者が反対に回ったからさぁ大変。今では、街のシンボルになっていますが。フランス人(パリ人)はとかく反対がお好きのようで、ルーブル美術館の中心に聳え立つガラスのピラミッド。ミッテラン大統領の肝いりで始まったこのピラミッドも今ではすっかり馴染んでいますが、当時はそうとう浮いた不評な存在でした。また、パリで一個だけつったっているモンパルナスタワーは今でも不評。「パリで一番眺めの良いところは?」「当然モンパルナスタワー。だってモンパルナスタワーからはモンパルナスタワー自身は見えないから」という皮肉がはやったほど、パリのどこからでも見えてしまう何の変哲のない黒っぽい四角いビルは不評だったそうです。でも、この頂上からの眺めはエッフェル塔同様に絶景だそうです。僕はここは結局行きませんでしたが。

エッフェル塔の写真はメモリアルの西暦2000年(AN2000)をUpします。Effel_ajuste_4

✎エピソード2

エッフェル塔の真向かいはシャイヨ宮という宮殿があるトロカデロ広場です。ここから見下ろすエッフェル塔が恐らくは一番綺麗なエッフェル塔です。ここからのエッフェル塔だけは通算8年パリにいましたが、感動をしなかった事はなかったです。宝石のような景色です。

さて、ここから2分のところに僕らは棲んでいました。所でSMAPって知っていますか?実はあのSMAPがパリに仕事で来た時、このトロカデロ広場で撮影がありました。この極秘情報を実は日本人学校のある奥様が入手していました。曰く、(何月何日~何日までSMAPがパリに来る。そしてエッフェル塔が特別にキラキラと光る数分の間を使って撮影がある)。この条件を重ね合わせれば、何日の何時ごろここにSMAPが来るかは予想できたわけです。そして実際、その日のその時間、SMAPはそこに来て撮影があったのです。日本人学校のマダムの情報網は素晴らしく、パリのバーゲン情報などはあっという間に広まります。なのに、ああ、それなのに、この時だけは、この情報が伝わってこず、従って、目の前で、家から2分の場所でSMAPを見るチャンスを逃してしまいました。ミーハな僕は今でもこれが悔やまれます。

すいません。つまらないネタばかりになってしまいましたが、備忘録として書いておきたく。エッフェル塔の思い出は尽きません。今でもパリを取材した番組でエッフェル塔が写ると、まだ少し胸が苦しくなりますね。まぁ、こうなると恋人みたいなもんです。

2008年11月22日 (土)

旅行第五十日目:パリ(セーヌ河岸)・・・プロローグ

旅行第五十日目:パリ(セーヌ河岸)

✎そして、パリ

一応の区切りということで延々と1年(昨年1228日から)続けてきた世界遺産ブログを第五十箇所目で〆たいと思いますが、ここは最後迄とっておいたフランス、パリ世界遺産を載せます。まぁ、パリといえば、世界遺産ブログを御覧の方なら、何度か訪ねられたか、観光ガイドブックで検討された皆様が多いでしょうから、細々したご説明よりもぐっと旅行記(というより生活記)の色合いが濃くなります。

✎その前に

まぁ最後なので少し自己紹介を。90年に生まれて初めて海外生活したのが、このパリ。5年居ました。5年たって生まれたばかりの子供を抱いて帰国。飛行機にのるとき、気圧の差で耳がキーンとなりますよね。大人は唾を飲んで調整しますが、乳児はそんな術を知りません。なので、子供が耳鳴りにならないように、「離陸のタイミングでミルクを飲ませる」ようにご指導をうけ、機内でミルクをほしがる子供をなだめになだめて、離陸まで引っ張って、離陸と同時に「それっ」とミルクを飲ませた思い出があります。で、帰国して苦労して電気製品を買い集めてよしこれからというとき、帰国後2年弱でロンドン転勤。(だったら直接パリ=>ロンドンだったらどんなに楽だったか!)。「プロジェクトが旨く行かなければ8ヶ月で戻ってきなさい。兎も角このプロジェクトは2年で終わるから・・・」と送り出されて6年間。(嘘つき!)2年経って帰国の頃、ロンドンにやってきた人事部長、上司から「いい機会ながら忌憚無い意見を言えば」と言われ迎えた部長面談。「どうも、で、君の希望を聞かせてもらう前に、僕の希望を言うとね、次に立ち上がったこのプロジェクトね。これもロンドンでやってもらいたいんだよねぇ。で、君の希望は?」此処まで言われて「帰りたいです」といえないのがJapanese Businessmanの悲哀。「はい、分かりました。頑張ります」で、その後4年ロンドン。めでたくプロジェクトを仕上げ、そろそろ日本?っと思いきや、「いや~。ご苦労様。ところで、これパリにも展開するんだけど。そういえば君昔パリにいたんだって?。いや、適任の人がいてよかった。あの国はほら、言葉出来ないと何かと難しいからね。期待してるよ。」っとおだてられ、帰国でJalに載るはずが何故かユーロスターに乗ってパリへ。この年2003年のアフリカからの熱風で気温40度の異常気象に迎えられてパリ生活開始。「あ、暑い。なんか悪い事した、僕?」結局それから3年パリで合計9年の欧州生活。家族にも本当に苦労をかけました。それで前回とあわせ14年の欧州滞在となったわけで、家内とも相談して、こんな言葉の分からない、いつもストレスのある環境で生活しているんだから、「観光旅行は頑張っている自分たちへのご褒美」と考えて、休暇の度に観光旅行を重ねました。50を超える世界遺産訪問はこの機会に蓄積された訳でございますです。

✎で、パリ

調べてみると花の都、歴史の博物館のようなパリ、世界遺産が無数にあると思いきや、なんと1個だけ。それもセーヌ河岸というファジィーな、やたらと緩い定義。Wikipediaで調べた結果、シュリー橋からイエナ橋の間の8㎞の間が遺産といういやはや物凄い広範囲が遺産です。そうなんです。バトームーシュ(日本人の乏しい単語力で直訳すると蝿舟?)をご存知でしょうか?セーヌ河の観光遊覧船です。この舟にのると納得。パリのかなりの部分の名所は、この川沿いにあります。例えば、ノートルダム寺院、エッフェル塔、ルーブル美術館、オルセー美術館、オランジェリー美術館・・・と切りがないので、範囲を区切ったのでしょう。「ということはあの凱旋門は遺産ではないの?」とか色々疑問は沸きますが、まぁそういうことだそうです。長くなったので今日はプロローグ。これから数回かけて、この大所とそれに纏わる生活記を書いてゆきますね。あと少しだけお付き合いください。

2008年11月 8日 (土)

旅行第四十九日目:ヴェルサイユ宮殿

旅行第四十九日目:ベルサイユ宮殿

✎お隣さん

そうなんです。お隣さんなんです。僕が初めて棲んだ街はパリ郊外のVille d’Avrayという街。あの有名な(だった?)リチャード・クレーダーマンも棲んでいる(僕の前任者は公園で遭遇。僕は会えず)この街は地図でみるとなんとベルサイユのお隣。車で10分で宮殿に到着。近すぎて逆にあんまり行かなかったです。パリに移って友人が来るたびにベルサイユを案内しました。5回は通ったと思います。で、最初にいった時は日本人団体さんになんとなく混じって日本語ガイド聞いたり(反則行為?)しました。

✎広い

ベルサイユ。とにかく広いです。初めて来たときロンドンとNYの知人を案内したのですが、宮殿を回った後、庭に出たのですが、トリアノンという別宮殿に行くのに天気がいいから歩いていこうと思ったのが運のつき・・・歩いても歩いても・・・挙句迷子になって、建物間を走っている馬車に乗せてもらって漸く到着した思い出があります。この先に豪奢な屋敷での生活に疲れた人がSimple-Lifeを楽しんだ田舎屋などがあります。マリーアントワネット様が密かに愛を語り合った場所もこの辺りです。

✎で、宮殿

Photo

まぁ、ここはご紹介するまでもないでしょう。ルイ王朝最盛期にルイ14世らが栄華を楽しんだ宮殿です。「ベルサイユの薔薇」のナレーションによれば、「マリーアントワネットが博打に濱って60億円の借金をした」そうでその感覚のズレは押して知るべしです。まぁ革命が起こっても止むを得ないでしょうね。あ、そういえば意外だったのはあの「鏡の間」。確かに金キラキンでしたが、思った程大きくなかったですね。ちょっとビックリ。この広さであの着飾ったご婦人たちが舞踏会を行ったら、かなり狭かったんではないかね~。なんて余計な心配したりしました。尤も、シャンデリアは流石に素晴らしかったです。御覧の通り。

Photo_2

✎ご連絡

ヴェルサイユ宮殿の記事がおわり、次回はいよいよ第50日目。最後までとっておいた僕にとって最大の世界遺産。「旅行第五十日目:パリ」をお送りします。これで終わり。只、パリは、あまりにもお伝えしたいものが多く、名残惜しくもあり、従って、五十日目を何回かに分けてご報告したいと思います。請うご期待!

2008年11月 2日 (日)

番外編XX:珠玉のレストランXIX(Château les Crayėres)

番外編XX:珠玉のレストラン(最終回):Châ

teau les Crayėres

✎最終回

このブログがそろそろ幕引きなのでレストラン紹介も最終回です。て言うか、より正確に言うと

これでネタ切れ。あ、いや、小さなお店も含めればまだまだあるのですが、ご紹介できるような店はこれでネタ切れということです。なので派手に終わりたいと思います。場所は、ルイ王朝の戴冠式を行った聖堂のあるランス。このランスでは一度2☆を紹介しましたが、実はランスにはもう1件、モンスターのような凄い店があるのです。名前がこのタイトルのお店。

Châ

teau

レストランだけどChâteau。つまりお城なのです。車で訪問したのですが、地図をみると簡単。

地図上では巨大な緑(公園)の隣。正確にいうとこの緑がChâteauの所有地、つまりとてつもなく広い庭がついているChâteauということです。これです。

Reims_restrant_with_garden_2

Châteauそれはお城

このホテルは本当の本物のChâteauReimsは高速鉄道がParisから走る事がきまり通勤圏内となるので、日本からでも立ち寄れる可能性がぐっと高まる訳です。是非ここにご一泊の上、この珠玉のレストランで食事をしてみてください。ここにはロンドンから車で来て一泊だけしたのですが、ここの駐車場に着いたとき、駐車している車が、スーパーカーのような高級車がズラッと並んでおり、ワーゲン等でロンドンから出向いた僕は「どこに停めればいいんじゃい」と悩んだ思い出があります。部屋もお城。広々とした部屋の真ん中にドンとすえられたベットは詰めれば5人寝られるんじゃないかと思うほど広いものでした。

✎で、レストラン

子連れで行ったので、幾分端の方にテーブルを用意された感じは否めませんでしたが、それでも庭が一望できるところで本格トラディショナルフレンチを味わいました。途中で子供が眠くなったので寝かしてきて、それから本当にゆっくり食事をしました。なので、家内は「この時のチョコレートのデザートが最高だった」と今でも語ります。

Reims_chateau_2

✎お勧め

ここはお勧めです。ランスには言わずとしれたシャンパンのメッカ。シャンパンのCaveを幾つか回ってシャンパンを楽しんだ上にここに一泊。そしてこの2☆で珠玉のレストランで珠玉の料理をお楽しみください。

世界遺産じゃなくたってNo.3:Semur-en-Anxois

世界遺産じゃなくたってNo.3:Semur-en-Anxois

✎途中下車

フォントニー修道院にゆく途中、地球の歩き方に紹介されている街にフラッと立ち寄りました。

なんか特別「これ」という建造物がない為に知名度は今一つかもしれませんが、写真で見ていただくと分かるように、この街、なんとも町自体が中世なんです。嘗てベルギーのブリュージュや

フランスのプロバンをご紹介したときにも同じ台詞を使いましたが、この街、車を止めて街を歩いてみると、本当に、至る所に、いや、町全体に中世が通っています。

Photo

✎中世

徒歩で20分もあれば一回りできるような小さな町。すでにヒビが入っているような古い塔が歴史を背負って誇らしげにたっている以外、どこの町にもある教会以外はこれといってみるものもない街ですが、でも、街を歩いていると何ともいえない感動を覚えます。そう、きっと京都の町や、奈良の町を歩いたらこんな感動を覚えるのかもしれません。尤も、奈良はまだ訪ねた事がないですし、京都は学生旅行で訪ねたので、そんな感動に浸る余裕がありませんでしたので、よく分かりませんが。ともあれ、時々すれ違う車さえなければ、ここは中世。このまま、なんの編集も無く、中世の映画の撮影が出来そうです。

Photo_2

✎世界遺産でなくたって

世界遺産の基準は読みました。で、多分、この中世の小さな町はこの基準を満たさないのでしょうが、こんな目立たない宝石のような街が、密かにそこ此処にあるのも、フランスの凄さだと僕は勝手に思っておりますです。この街も、きっと遺産だなんて騒がれる事は望んでいないでしょう。あと数百年たってもひっそりとこうやってCote d’Orの中に静かに佇んでいるんでしょうね。

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