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2009年1月

2009年1月26日 (月)

2009年No.8 コッツウォールズ-バイブリー

2009No.8 コッツウォールズ-バイブリー

✍エンジン

かかってきました。イギリスって長い事居たので、それなりに色々なところに行っているわけで、只それらは世界遺産で無かっただけで、なので世界遺産縛りが無くなった今、野に放たれた虎のように(ん、不適切な例え?)自由にイギリスを紹介してゆきます。そう、エンジンかかってきました。

✍基本

派遣がイギリスに着任しロンドン観光を終えると次に考えるのは、コッツウォールズ訪問かもしれません。僕は着任後初めていった旅行がやはりコッツウォールズです。これから3部作でご紹介します。第一作目バイブリー。

でも、正直いって意見分かれるかもしれません。コッツウォールズは中世のまま時間が止まっている里の事。なのでこれといって「うぁ、これすげ~」というものがある訳ではなく、只古~い

家並みが続いているだけです。こんなかんじ。Bibry_1 たった10軒ぐらいの長屋です。この短い長屋を見にはるばる日本から来た派遣も含めて世界中から観光客が押し寄せるわけです。変といえばかなり変な事態です。

✍同化

でも僕は好きです。蜂蜜色の壁の古い家並みは周りの景色と同化して、なんか草木とか川とかと一つになって、まるで全てが一つの生命体みたいに一体になっていて、家々は風にそよぐ木々に身をゆだねています。この家々の周りには小川が流れ、鴨が遊んでいました。川は多分膝下ぐらいの深さで、水草が揺らいでいました。太陽の光が水面に反射し・・・・こんな綺麗な水を久しぶりにみました。今でも覚えています。この家々の向かいには背の高い草木がびっちりと密生していて、その中の小路を散策していると自分もその景色の一部に溶け込んでゆく感じがします。Bibry_2

確かに世界遺産になる街ではないし、その基準を満たす街ではありませんが、なんかこう「癒し」に包まれた感じ?「元祖ロハス」はここにあるのでは・・・・? いいです。別に世界遺産で表彰されずとも、この街はこれからも数百年こうやってひっそりと生きてゆくのです。観光客を癒しながら・・・ナンチッテ

2009年1月23日 (金)

2009年No.7:イギリス食事情1

2009No.7 イギリス食事情1

ちょっと小休止で、お待ちかね食べ物ネタです。

フランス食事情はおいおいお伝えするとして、時々僕が見聞きしたイギリス食事情をお伝えします。イギリス好きの皆さん(特にYJさん)気を悪くせずにご笑読ください。

✍中華思想

イギリスで有名な食べ物はなんでしょう? 有名なところではロースト・ビーフ、フィッシュ&チップ、少し通だとドーバー・ソールという答えが返ってきそうですね。そうです、彼らは彼らの世界を行くのです。

ところで以下は、僕と当時一緒に仕事していた英人のパートナーAさんの会話:

Aさん「夏休みどうすんの?」僕「マヨルカ島にいくんだ」

Aさん「あ、僕いいお店知っているんだ。後で教えてあげる」僕「ありがとう。楽しみ♪」

皆さん、マヨルカ島は地中海に浮かぶスペイン領の島です。

あぁ、スペイン。スペイン料理といえば・・・生ハム、タパス、そしてパエリア、新鮮な魚介♪

地中海が俺を呼んでいるぜぃ!楽しみ♪

で、数分後、Aさん「はい、これ」とレストランの名前と住所を書いた紙をくれました。

A「ここのフィッシュ&チップは最高だよ、はい住所」

フィッシュ&チップ? スペインで?マヨルカで?

それって、日本に住んでいるイギリス人が中国に旅行行くときに、寿司屋の住所を渡すようなものでしょ?????

イギリス人はいつもイギリス料理を食べ、ビールを飲み、サッカーの応援をするのです。たとえそれがマヨルカでも、コート・ダ・ジュールでも・・・これがイギリス流中華思想。

2009年1月17日 (土)

2009年No.6:南ウェールズ

2009No.6 南ウェールズ

✍自由自在

いや~ブログって本当にいいですね。ドラエモンのどこでもドアみたいに欧州内を自由自在に移動できるし・・・・で、今日はドーバーを越えてグレート・ブリテンへ。イギリスといってもスコットランド、ウェールズ、イングランドと色々な地域から成り立っているのですが、中でもウェールズはちょっと特別。ウェールズに入ると地名を示すプレートが突然2ヶ国語表記になるのです。いわゆる「英語」と「ウェールズ語」。これが似ているようでかなり似ていないです。

イギリスは日本より小さな島国ですから、なんか不思議な感じ。例えば名古屋にはいったら標準語と名古屋弁が併記、福岡いったら博多弁が併記されているようなもんだし。

Photo_7

✍今日は自然を

大渋滞にはまる事4時間うんざりするほど時間をかけて中心都市カーディフに到着。

カーディフのお城は有名なのですが、お城は一杯紹介してきたので、ちょっと嗜好を変えて今日は国立公園を紹介します。名前はブレコン・ビーコン国立公園。自然の中を車で移動・・・することも出来ますが、子供連れにはこれもいいかも。これ本物の蒸気機関車です。当時、「機関車トーマス」に子供が夢中だったので、乗ってみました。短い距離を往復するだけですが、これが中々楽しかったです。車内は豪華なソファーが置かれていて一寸王室気分。たったこれだけの事なのですが、さらに数年前息子がもっと小さかった頃、イギリスの別の場所で機関車に乗せようと思ったとき、蒸気を上げながら巨大な機関車が入ってきたら、びっくりして突然泣き出し、結局載れず、切符もパー・・だったことを思うと、機関車に乗れただけで子供の成長を感じたりした一瞬でした。

✍で

その後車に戻って地図を頼りに「滝」探し。車の悲鳴が聞こえるような急坂を登りおりして、到着。この滝決して大きくはないのですが、滝の中まで道が付いていて、滝つぼの裏側に回りこめるのが面白い。この写真です。Wales_7

反対側から見る滝もおつなものでした。そう、ウェールズの売りは「自然」なのです。

2009年1月11日 (日)

2009年No.5:オンフルール

✍自由だ~

って叫ぶお笑いタレントがいましたが、「世界遺産縛り」を無くしたので、自由にフランスを縦横無尽に駆け回ってご案内したいと閃いた場所を次々にお伝えできます。今日は今まであまり書いた事がなかったノルマンディに足を伸ばしてオンフルール。をご紹介します。

✍北

イギリスとフランスはドーバー海峡を隔てており、これは頑張れば人が泳げる距離である事は有名ですが、このフランスの端がカレーです。このカレーより少し南の海沿いの町がこのオンフルールです(セーヌ河の河口の町です)。その近くにあるル・アーブルという商業都市は有名ですが、オンフルールは商業的にはあまり意味はないかもしれませんが、そのひっそりとした港街は観光的な魅力に溢れています。

✍ヨット、そしてヨット

Photo

御覧のようにここはヨットが沢山停泊している小さな港です。この港を囲むようにオープンカフェが広がっています。このカフェレストランでお決まりのように食べられているものはなんでしょう?・・・・それはクレープ。といってもデザートではなく食事。そうノルマンディの名物は「蕎麦粉クレープ」お肉とか野菜をクレープで包んで、そしてシードル(リンゴ酒)を味わう

当然のようにデザートはクレープ。総クレープ三昧。これぞノルマンデーの楽しみ方。

・・・あぁ、珠玉の一時。

Photo_2

夏には港の周りの花畑には綺麗な花が咲き誇り、とても綺麗です。この地で生まれたブーダンをはじめ印象派の画家がこぞってこの地を描いています。審美眼は僕らと一緒(つまり同じものを綺麗と感じる)なのですね。

2009年1月 9日 (金)

2009年No.4:シャモニー・モンブラン

2009No.4:シャモニー・モンブラン

✍冬

この季節なら、これでしょう。白鳥の散歩道から、びゅんと離れてここはシャモニー(Chamonix)。

111日はフランスでは祝日;ツーソンといって日本のお盆のようなもんだそうな。で、あまり寒くなると辛いので111日にシャモニーを訪ねました。電車でパリからは結構の長旅でした。シャモニーをベースにしてここからエギュユ・デュ・ミディ迄登るとそこからモンブランが一望出来ます。前にご紹介したマッターホルンは鋭利な巨大な岩のような山でしたが、御覧のようにモンブランは、この角度からみると丸っとした頂上です。Photo_3 エギュユ・ディ・ミディ自体もかなり標高が高く、空気も薄いです。

そしてここから見下ろす雪山を見るとその切り立った崖に山の厳しさを垣間見れます。御覧下さい。Photo_4

✍暇

昼はいいんです。でも夜が暇。真っ暗になったら雪山も見えないし・・・。居酒屋もないし。

ホテルに戻ってTVつけても何言ってるかよく分からないし・・・。で、今でも覚えているのは態々シャモニーまでいって暇つぶしに「ジュラシック・パーク」かなんかを見たことを思えています。僕の中では、シャモニーには怪獣が一杯棲んでいるイメージです。

✍飯

郷にいれば郷に従え・・・ではないですが、シャモニーに来たらやっぱりフォンデゥーでしょ。

なんかよく分からずフォンデューを注文。「お肉を油に浸して・・・」と思っていたら運ばれて来たのは融けたチーズとパンのかけら。お肉なし・・・「へぇ、最初はパンだけなんだ。」と思っていたら何時まで待ってもパンだけ。「あの、お肉は来ないのですか?」と聞くと、「????」という顔で、「え、これだけですが?お、お肉ですか?お肉は来ませんが・・・」

このガルソンに聞いて分かった事は、フォンデューには2種類あること。オイル・フォンデューとチーズ・フォンデュー。で僕らが図らずも注文したのはチーズ・フォンデュー。100年待ってもお肉は来なかったわけです。トロッとしたチーズをパンにつけて食べる単純な料理ですが、寒い冬には体ホカホカになり、またワインにぴったりで、この経験でフォンデューにすっかり味をしめてしまいました。食は環境に沿って人々に受け入れられる形に変わってゆくものなのですね。

オイル・フォンデューは確かしぶとく翌日食べました。

2009年1月 5日 (月)

2009年No.3:パリセーヌ河「白鳥の散歩道」

2009No.3 パリ-セーヌ河「白鳥の散歩道」

Change

2009年変わるのは小浜大統領だけではありません。このブログもこの回から、お気楽ブログにChangeします。場所はパリ西端15区・16区です。ご存知のようにパリの真ん中にはセーヌ河が流れており、北が16区、南が15区。そして真ん中が中ノ島。通称「白鳥の散歩道」です。

Photo_3

Parisメトロ6号線は、セーヌ河を横切る時、地下鉄でありながら橋を渡ります。15区⇔16区をつなぐ橋がこれビル・アケイム橋。電車と道路の2階建ての橋ですので結構目立ちます。

Pont_birhakeim_3

Cinema-Cinema

この辺りはまた映画の撮影の舞台となった場所もたくさんあります。この河沿いの道路は007の撮影でロジャー・ムーアが車を疾走させ、またこのビル・アケイム橋は、ラスト・タンゴ・イン・パリで若きマーロン・ブランドが一人歩くシーンが有名です。尚、このビル・アケイム橋から始まる白鳥の散歩道では、RoninというCar-Chaseで有名な映画が撮影され、この近くにはアラン・ドロンのマンションがあります。そしてこのマンションの傍のRue-Ankaraには彼がよく通うというレストランがあります。名前は・・・忘れました。

✍なにこれ

その店でDinerをすれば「もれなくアラン・ドロンが付いてくる」訳もないのに、ひょっとしたらと何回か通いました。その時のこと・・・まだフランス語が物凄く怪しかった頃の事です。

Menuを見ました。全然わかりませんでした。で知ってる単語を探し・・・Viande(お肉)覧にある「Onionの何とか」なら「お肉の玉葱添え(か何か)」だから、これにしよう。と注文。待つ事数分間・・・来た!お皿にのった左右対称のお肉の塊。玉葱が添えていない・・・嫌な予感。

「きっと間違えている、お肉はお肉だけど」・・今思えばOnionではなくRognon(!) え、Rognonって何?ゲテモノ食い???? シンメトリックの片割れだけ食べて早々に自宅に戻り恐る恐る仏和辞典で調べると「Rognon=(調理用の)腎臓。」と。「腎臓?あ、だから左右対称に盛り付けてあったわけね。」こういう状況で覚えた単語は忘れませんよね。

たとえばTête de veau・・・少しフランス語が出来てきた頃、「veauは子牛だよね、ならこれ」なんて安易に頼むと、Têteは頭だから、子牛の脳みそが調理されて厳かに登場します。お気をつけて!

2009年1月 3日 (土)

2009年No.2:ラスコー洞窟

2009No.2 ラスコー洞窟

日本で一番

1940年フランス西南部。遊んでいる少年が突然洞穴におちて、そこの壁一面に牛、羊など様々な動物が描かれているのを発見。遠近法を駆使して描かれている15000年前クロマニョン人が描いた壁画。これがラスコー壁画で、昭和の時代に日本で学習した方は、新学期世界史の最初の数ページ目で必ず学習しているに違いない、多分日本で一番当時の文部省が国民に伝えたがっていた世界遺産の一つかと思われます。

✍映像不足

そもそもラスコー洞窟は、1960年代から一般公開が禁止されてしまっています。人間が吐く二酸化炭素が黴を生じさせ壁面を傷めるからという理由です。我々が入館を許されているラスコーIIにはその理由が写真共に綴られていました。このラスコーII、本物の直ぐ近くに作られたレプリカです。なんだレプリカかと最初は思いましたが、20世紀の人類の英知を尽くして、本物の数百メートルの洞窟を誤差5㎜以下の正確さで再現したものだそうで、これもある意味で人類の遺跡で、ここを観終わるると完全に本物を見た気分になれます。でも、当然撮影は禁止。日本と違い世界的に有名な遺産の割には、大々的な宣伝もなく、洞窟の入り口は小さな建物(切符売り場)が建っているだけで、あまりにも地味。撮影の誘惑に駆られませんでした。なので写真はなしです。

中にはいると本当に壁一面に明らかに動いている牛や馬の絵が生き生きと、本当に生き生きと描かれていました。一般個人の絵をかく能力は15000年間向上していないといってもいいぐらいです。当時は動物との距離も近く、毎日眺めていたから描写も動的になったのでしょうね。世界史の教科書には写真が数枚しか載っていませんが、動物が無数に描かれていて観るのに何十分もかかったと思います。圧巻でした。今回は写真はWikipedia ラスコー壁画でYahoo検索していただけると御覧いただけます。

✍余談

夏休みの旅行の中で訪れた場所で、有名な地名でいえばボルドーのわりと近くにあるヴェーゼル渓谷のモンティニャック村にあるのですが、「ある」という事が分かっているだけでアバウトな地図を頼りに車がすれ違えないような細い道、周りは森というなか、車にすれ違わない事を祈りながらPatrimoine-Mondialの茶色い案内板を頼りに車をすすめました。幸い車とすれ違うことはありませんでした。寧ろ、森の中を何分走ってもすれ違うどころが一台の車にも合わない。というか周りに人が居ない。これはこれで不安になります。愛車プジョー405は恐ろしい事の「はずれ車」で、頻繁に時々エンストしました。この旅行での7日間で7回。この人の気配も無い誰もすれ違わない場所でエンストしてエンジンかからなかったらどうなるの?モンティニャック村まであるいたら何時間もかかりそうだし、夏だから凍死はしないまでも翌日まで野宿?異国で?森の中で?車で?とこの車で来てしまった自分の無謀さをちっと後悔しながら、祈りつつひたすら走りました。今だから笑い話ですが・・・。

この旅行ではボルドーでは高速でエンストし渋滞を創出したり、エンジンが止まらないようにガソリンスタンドでのトイレ休憩でも、エンジンを吹かし続け、不審に思った店員さんが駆けつけてきたり・・・思いで深い旅行でしたね。ラスコーというとこのエピソード今でも思い出します。

まとまりないですね。スイマセン

2009年1月 2日 (金)

2009年No.1:パリの新年(トロカデロ広場)

No.1:パリの新年(トロカデロ広場)

明けましておめでとうございます。凄く久しぶりに年末から風邪を引き込んで文字通りの寝正月。ひどいスタートを切ったのでこれからはアゲアゲムードで行きたいです。今年も宜しくお願いします。何からかこうかと思ったのですが、僕の原点に帰ってパリの新年の模様をお伝えします。

✍寝正月

人によって差はあるでしょうが一般的には寝正月だそうです。宗教性は皆無。まぁクリスマスでキリストの誕生を祝ったばっかですから、年越しは彼らには単なるカウントダウンスペシャル。

で、翌朝は寝正月。ところで、これは日本では有名なのでしょうが、年越しの定刻になるとシャンデリゼ通りには人が大挙して集まります。そして定刻になると誰彼なく抱き合って新年を祝うそうです。「そうです」というのは、知らないフランス人に抱きつく勇気もないし、家内が抱きつかれても困るし・・・と言う訳で行った事がないのです。それと理由がもう一つ。赴任した直後は、僕は年末家に居た事が殆ど無かったのです。当時支店のコンピュータシステム管理の責任者をしていた僕には12月末はフランスの年次決算の締めで毎年決まって深夜残業で帰宅は明け方。自宅に会社から電話かけて「明けましておめでとう」と新年を祝うのが通例でした。

✍体験

自分が行ってもないのに記事を書くのはイカン!ということで、とはいえ子供がまだ小さかったので、帰国前最後の2006年正月、自宅から徒歩2分ぐらいのところにあるトロカデロ広場まで出かけてみました。ここは丁度、セーヌ河沿いにエッフェル塔が見下ろせるおそらくロケーションとしては最高の場所です。Photo_2

写真中央のシンメトリックの建物がシャイヨ宮その奥がトロカデロ広場です。そんな有名な場所なので定刻になるとアベックが家族連れが大挙して押し寄せてくる・・と思ったのですが、日本の新年の神社の人の波を見ている僕にはちょっと拍子はずれ。それでも家族連れや、子連れの人が定刻20分ぐらい前から集まってきます。シャンデリゼが熱狂的な「熱い若者」、ここは「家族だけで静かに越年を祝う家族連れ」という棲み分けが出来ているのかもしれません。手にはシャンパン瓶やワインボトル。ちょっとした野外パーティの準備です。集まって宴席が始まるかと思いきや、皆思い思いに凍てつく街で立ち話をしながら。「その時」を待ちます。

✍定刻!

「定刻になるとエッフェル塔から盛大に花火が打ち上げられる」のは革命祈念日と先般の2000年の越年ぐらいで通年は何もなし・・なんですね。教会の除夜の鐘もないので、各人が自分の時計を懐中電灯で見ながら、思い思いにシャンパンやワインを空け「Bonne Anne!」といって家族は仲間で勝手に盛り上がっています。なんかとってもしまりの無い年明けでした。誰彼かまわずハグというのはやっぱりシャンゼリゼ通りの若者だけのようですね。僕らも年越し後10分ぐらい居ましたが、特に何もないので引き上げてきました。この後も彼らはおそらく家に戻って朝まで酒盛り。紅白歌合戦の無い彼らは自分たちで前の年を思い思いに振り返って語り合って、で、「新年は寝正月」という構図となる訳でしょう。

でも只、この時見たエッフェル塔が最後の越年で見たエッフェル塔で、今でも忘れられません。

✍予告

次回は世界遺産ブログで掲載できなかった「ラスコー洞窟」を載せる予定です。お楽しみに。

お詫びと訂正

皆さん。すいません。

新しいブログを始めようとしましたが、悪戦苦闘しましたが写真がどうしても貼れず、前言撤回し、このブログをタイトルを変更して続けることにします。Patrimoine Mondial &Divers(世界遺産その他)として、このブログでお気楽記事を続けて書くことにしますので、これに懲りずに、また訪ねてきてください。

ほんま年寄りには新しいこと始めるのは骨折れます。(* ̄ー ̄*)

お詫びと共に訂正いたします。

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