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2009年8月

2009年8月23日 (日)

2009年No.43 こぼれ話・無駄話3

2009No.43 こぼれ話・無駄話

3

Not24,But35

ドラマ好きの人なら、’24’というテレビ・ドラマはご存知でしょうが、では’35’って分かりますか?またまたフランス人の話ですが、フランス人なら’35’という数字には反応する筈ですよ。

C’est qoui,35

ずばりそれは労働時間法です。雇用促進の為に、週の労働時間を35時間ときめた法律です。

35時間を上限とすることで、それを越える労働を必要とする企業は、やむなく新たな雇用をする訳でそれで雇用促進というわけです。僕の勤める会社は一日が約7.5時間で一週間37.5時間。

年間約50週間として、超過時間は75時間。1週間7時間労働として、約10日間。つ、つまり規定を守ろうとすると、約2週間を与える必要があるのです。フランスの休暇は年間5週間。これに2週間をあわせ、な、なんと7週間の休暇が保証される訳です。気兼ねしつつ、細かい引継書を作ってたった1週間の休暇をとる我ら日本人から考えると、とても考えられない訳でして。つまり職場では、誰かが休暇をとっている訳で、メンバーがそろう事は殆どないのです。

で、アルバイトを雇ったり、期間限定契約社員を入れたりと管理職泣かせですが、当時のフランス政府の策は的中したのでしょうね。でも何故かこの法律、あまり評判よくなかったようです。

✍苦悩

でも派遣の中間管理職は大変です。例えばとある冬休み。フランス人の部下はスキー三昧で2週間休暇。その間Projectはピタッと停止。引継ぎなど先ずしません、彼ら。結果、遅れ勝ちのプロジェクト。明日、担当が休暇から戻ってきたら会議を開いて役割分担を見直して、要員をシフトして・・・派遣の管理者は知恵を絞るのです。で、当日。鳴り響くデスクの電話。嫌な予感。相手はその休暇中の部下。「すいません、スキーで骨折しちゃって、で、あと2週間お休み戴きます。」って、おい。そんな訳で、休暇の後はなにかが起こる。フランスでの部下の休暇明けは、ある意味、恐怖でした。

2009年8月16日 (日)

2009年No.42 バルビゾン

2009No.42 バルビゾン

✍良くミレ

今日は、バルビゾン・・Barbison2_5 ・知る人ぞ知る?街です。バルビゾンはご存じなくてもミレーの「晩鐘」はご存知ですよね?「夕刻、農家の主婦が夕日を浴びながら神に一日の感謝を祈っている(の?)」あの絵です。あの絵の舞台がこのバルビゾンなのです。ミレはこの地で、農家の人々の姿を見ながらあの名作を描いたわけですね。それがこの街です。良くミレ。

✍どこ?

パリから南東に50㎞、フォンテンヌブロー城に隣接する静かな街です。でも何があるわけではないんです。そう閑静な町並みとその外側に広がる広い農地、それが全てです。駐車場をおり、数分街を歩く。大通りには小洒落たレストランが数件、小さな画廊が数件、あとは普通の民家なのです。Barvison1_5

でもその街の雰囲気がなんともいいのです。街全体が美術館って感じで。画廊にも数軒はいりました。結構値頃感のある絵が色々ありましたね。誰だか忘れちゃったのですが、物凄く著名な画家さんのお孫さんの画廊もありました。そこの絵画は欲しかったのですが、ちょっと手が出なかったですが。

✍ハプニング?

レストランでLunch。フランスは夏でも湿度が低く気温も30℃を超えないことが多く、屋外でも食事ができます。折角なので僕らも・・・。運ばれてきた気軽フレンチ。そしてワインのピシェ。サーブされるお皿から立ち上る香り。この香りに吸い寄せられる僕ら夫婦・・・と蜂たち。流石郊外のレストラン、香りにつられて蜂が何匹かテーブルの周りを飛び、挙句ワインのピシェにチャポン。

「あ・・・」ワインの中で優雅に泳いでます。シャンパン風呂でくつろぐセレブのように。「どうする?」蜂が泳いだワイン飲む? 一応ボーイさんをよんで・・「あの、蜂が泳いでるんですけど?ほら」。結構あるんでしょうね、こういうこと。ボーイさんはニコッと笑って、新しいピシェを持ってきてくれました。田舎のフランス人、懐広いです。Lucky! でもあの蜂はどうなったんだろう、あのあと?

2009年8月 8日 (土)

2009年No.41 世界遺産No.54 ヴェネツィアとその潟

2009No.41 世界遺産No.54 ヴェネツィアとその潟

✍盲点

久しぶりの世界遺産です。あ、いや、ヴェネツィアってゴンドラしか売りがないから世界遺産なんかではないと思っていたのですが、実は深~い意味があったのですねぇ。マークしていませんでした。意味と言うのは、御馴染みWikipediaによると・・・「5世紀ごろゲルマン族の侵入から逃れるために、当時湿地帯であった場所に街を作ったのが始まりとされ、その後、海洋貿易で立国を目指した。十字軍の遠征による利権の拡大、ジェノヴァ共和国との戦争で繁栄は最盛期を迎えた。アドリア海の女王と謳われたヴェネツィアもヨーロッパ諸国が地中海貿易に進出するに至った上に大航海時代が始まり、アメリカ大陸や日本の発見によって貿易の中心が大西洋や太平洋といった外海に移ったことによって衰退に向う」そうで「ヴェネツィアの街は100以上の島々が、およそ400の橋と150を超える大小の運河で結ばれている。」ここの見所は、サン・マルコ大聖堂。ここはかなり有名ですよね。べネツィアは水没の危機にあるそうで、心配ですね。__4

✍ゴンドラ

イタリアのような観光地は「値切ってなんぼ」、確かに色々値切れましたね。で、調子にのってゴンドラ代も・・・・。今思うと相当値切ったと思います。金額は忘れましたが。あきれたようにOKした漕ぎ手。「やったぜ。俺交渉上手。楽しみ」で、いざゴンドラで船出。ゴンドラは水面を滑る。暫く景色をエンジョイしていたのですが、「ん、なんか変。」写真で見たような華やかな広々した大運河が見えてこないのです。次々に通る運河は狭い運河ばかり。見上げると普通の民家の洗濯物とか干してある明らかに裏道。__5

漸く気がついたのは、「そうか、値切った分だけコースもショートカットされた訳ね」暫くすると漸く大通りの見慣れた運河に出てきたと思ったらもうゴール。これは一寸失敗。

みなさん、値切りを楽しむのはいいですが、程ほどにね。

2009年8月 1日 (土)

2009年 No.40 無駄話・こぼれ話No.2

2009No.40 無駄話・こぼれ話

2

✍さもありなん

嘗てフランス食事情をご紹介するなかでちょっと触れましたが、フランスを巡る日本食事情が双方向で今変です。双方向とは、①日本から見たフランスの日本レストランへの戸惑い。②フランスから見た日本レストランへの迷い・・・・です。

✍先ず①

「サーモンの握り上にモヒカン頭のように乗った白い物体」なんだと思います? それは・・・・・・モッツァレラチーズ。インタビューを受けたオーナーさんは「これはもう日本の寿司を越えたフランスの文化です!」と胸を張り、その結果生まれたのが前にもお話した「寿司ポリス」。日本の公的機関が、ミシュランの覆面調査員宜しく、日本レストランで寿司を注文し、日本として認定できる寿司屋かどうかを判定するシステムが導入されたそうです。日本は日本で、寿司という「珠玉の日本文化」を如何に守るかを今真剣に考えています。尤も、僕はここに至るまで寿司という文化を受け入れて大衆化するまで認めてくれたフランスの異文化に対しての懐の広さのほうに感激を覚えますが。。。

✍で、②

これは僕が確認した訳でなく、本ブログにコメントしてくれたYJさんの投稿で知った話ですが、さもありなんという話。パリ1区・・・割と中心に近いところにあるオペラ通り。日本人には馴染みのエリアですが、ここに日本食屋が増殖しています。オペラ通りと略直角に交わる嘗て「東銀通り」の愛称で呼ばれたサンタンヌ通り。数百メートルしかないこの通りの近辺には10軒以上の日本食屋があります。これはかなり有名な話。でも今はこのサンタンヌ通りと垂直、つまりオペラ通りと平行に走るプティシャン(Petit Champsというこれも有名な通りが今日本レストラン街に侵食されているのです。嘗てCaféだった場所が寿司屋に、そしてその道路向かいにも寿司屋、何で?。僕がいた頃でも10軒ぐらいの日本食レストランが。でも、日本資本のレストランはほんの数軒です。後は韓国、中国の日本食のお店で、最近では、地元の人々から「何でこんなに日本食屋が多いんだ、必要があるんだ?僕の通ったCaféは?中華の惣菜屋は?何で無くなっちゃんたんだ?」っと。不満の声が出ているとか。

✍でも・・・

立場を変えて考えて見ると、例えば日本の名物通りである浅草とか、葛飾柴又に、フレンチレストランや、アラブ料理屋がズラッと軒を並べたら絶対地元から不満でますよね。それは良く分かります。まぁ程度をわきまえて共存共栄でしょうか? 本当の凄い無駄話でした。

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