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2009年12月

2009年12月28日 (月)

2009年 No.70 こぼれ話・無駄話No.12(おらが村の自慢話2)

2009 No.70 こぼれ話・無駄話No.12(おらが村の自慢話

2)

✍続く・・その前に

これが本年最後の記事となります。何度も訪ねてきてくれた皆様、コメントを下さった皆さま、有難うございました。元気を戴いて、お陰でまた一年、記事を書き続ける事が出来ました。御礼申し上げます。

✍さて

そうです4時間並んだのですが、既に僕らの前には2000人の行列があった事は事実で、結果としてセンターコート・ファーストコートの入場券は手に入りませんでした。でも入場券は買う事ができ、センター・ファースト以外は自由に出入りできます。パンフレットを手に憧れのWimbledonへ入場。Wimbledon 緊張のWimbledon・・・と思いきや、あれ?なんか変。テニス世界大会の中心地にいるというよりは小さなディズニーランドにいるこの違和感は何?すれ違う人は皆ビールを手に、あるいはフランクフルトを手に、あるいは巨大なサイン用テニスボールを手に、はたまたイチゴミルクのお皿を手に(これWimbledonの名物です。試してちょ)、思い思いにその空気を楽しんでいます。でも、その横には、テニスコートは14面ぐらい迄あって、シードされていない選手が必死の戦いを繰り広げています。センターコートと違って、選手より数メートルの距離で、選手に声がかけられる距離で試合がみれます。手にしたパンフレットで知っている選手を探してみると、何と何と、あのナブラチロアとサンチェスのダブルスの試合があるではありませんか?しかもその相手は、日本の代表宮城ナナさんと中国人のペアなのです。

✍あっ

まさか本当にあのナブラチロアが、サンチェスが目の前に現れるのか?・・・現れたのです。

写真を載せたいところですが、肖像権の問題があるとかで、どうも宜しくないようですので、それは止めます。ナブラチロアの印象は表情一つ変えず厳しい攻めのテニスをする印象でしたのですが、いつも笑顔を絶やさず、エースが決まった時に踊るフリをしたりして、ファンサービスをしてくれていました。Wimbledonでは本当に超一流選手が目の前でプレーをしてくれます。

✍で

感動して帰宅した数日後。ある派遣の奥様との会話。「あの~、ひょっとしてテニス見に行っておられました?」「あ、はい」「で、眼鏡かけた大柄の日本人の方と一緒でした?」「あ、はい」

「やっぱり、テレビに映ってましたよ!」(^^)・・・・どうも聞くところによるとナブラチロアのダブルスをしていた時、丁度コートのど真ん中の審判席の向かいにいたのですが、突然の雨で試合が中断した事があったのですが、選手が退場した雨の中で被写体を失ったBBCのカメラが、雨にうろたえるカメラ正面のアジア人(つまりぼくら)を暫く写していたそうなのです。誰か録画していないかなぁ。実はその前の年にも、同じWimbledonで日本のTVに写ったそうなのです。これは後日会社の先輩が教えてくれました。つまり2年続けてTV出演した訳で。。。あ、どうでもいい事ですが、なんかちょっと最後に書きたくて(一寸自慢)。

ロンドン在住の皆さま、少しでもテニスに興味がおありでしたら、是非、朝から並んででも一般コートでもいいので、あの空間で世界戦の空気を味わってみてください。

次回は、センターコートからの全英オープンのご報告をします。ので乞うご期待。

2009年12月26日 (土)

2009年No.69 Le Cros Luce

2009

No.69 Le Cros Luce

✍縛り

このブログは2年前の1228日に感動の第一回を始めました。世界遺産とか、欧州の観光地の紹介だけで(色々無駄話も混ぜましたが)、よくもまぁ2年も続けられたなぁと思っています。最初は鼻息荒く、「世界遺産を記録するんだ!」と頑張ってきたので、世界遺産でない重要遺産をすっ飛ばしてきました。今、ここで改めて立ち止まってみて、世界遺産の呪縛を改めて離れて、細かくご説明していなかった場所を一つずつご紹介してゆきたいと思います。

✍ところはロアール

前回旅行第17日目「ロアール城廻」でロアールの古城を幾つかご紹介しましたが、あまりにもご紹介すべき城が多くて紹介洩れたお城にアンボアーズ城があります。場所はトゥールから列車で20分に位置するアンボアーズ。でも今日はこのお城は割愛します。ロアールのお城が御覧になりたい方は2008318日の「ロアール城廻」を御覧あれ。今日は、このアンボアーズ城から徒歩でゆける、この小さな町に眠る「巨人」の住まいをご紹介したいのです。お城を離れ、rue Victor Hugoを下ると現れるひっそりとした建物。Le_cros_luce_2

✍その巨人とは

ずばり、あのレオナルド・ダ・ヴィンチです。「モナリザ」を知らない文明人は極めて少ないのではないかと思うほど著名な画家にして発明家。何年か前に「ダ・ヴインチ・コード」がブレイクして、改めて「ダ・ヴィンチ」の名前は違った意味で有名になりましたが、ここに原点があります。ダヴィンチが没した家。御覧のような2階建ての家。日本にこのサイズの家が建っていたら、そりぁ目立つでしょうが、この地にはこれぐらいの建物は思いっきり普通で、これがあの人類史上の歴史に残る巨人の最後の庵かと思うとなんか不思議です。この地には「ダ・ヴィンチここに没す」というプレートが掲げられていました。Luce_panelle_cros_2

地球の歩き方に紹介されていますが、この家には、彼がデザインしたアイデア、人力飛行機とか、シャンボール城の螺旋階段とか、蝙蝠型ハングライダーなどが再現されて展示されております。一つ一つが緻密で精巧で、天才の飽くなき探求の履歴が見て取れます。彼は・・・天才です。

✍素晴らしい・でも

ひっそりとした建物ですが、そこはダ・ヴィンチ。世界中から集まった観光客で長い行列。

1時間近く並んで入場したのですが、これが大誤算。この日、ロンドンから来た友達を連れてきたのですが、想定外のこの行列。8時のユーロスターは厳しい。日頃制限速度厳守の僕がこの日だけはエンジン全開でパリへ車を駆ったのですが、結局、列車には間に合わず。後日、スピード違反の切符も届いて、それはもう最悪。一寸苦い思い出が付きまとうダ・ヴィンチでした。

2009年12月17日 (木)

2009年No.68 アンジェ

2009No.68 アンジェ

Oh My Angels

久しぶりに写真のあるフランスです。あ、世界遺産ではありませんが。場所はロアール。地名はアンジェです。アンジェはエンジェルの事、そう天使の街!です。アンジェの町の真ん中にあるお城がアンジェ城。

少しWikipediaでアンジェ城を見てみると、「メーヌ川に突き出た岩壁上のアンジェの要塞は、戦略的は防御の観点からローマ人が住み着いた場所のひとつである。9世紀に城はアンジュー伯の支配下であった。そして12世紀にイングランドのプランタジネット家領の一部となった。1204年この地はフィリップ2世によって征服され、孫のルイ9世によって、13世紀初頭に巨大な城が建設された。外周600㍍、17もの巨大な塔で防除され、城壁が25000mの土地を包囲している。」と。

✍薀蓄

そう、このお城は少し薀蓄を。フランスのお城で最も印象を受けたお城の一つです。何故か?その1.ここは600㍍に及ぶ外周のお堀の上をお散歩できるんです。ほらこの写真。Anger 歩ける外壁ってこんな感じ。お城の上に庭があり、そして何と何とお城の屋上に何と葡萄園が広がっているのです。ワインを造るのかなぁ?

そして、その2.お城から下を見ると、眼を疑うような幾何の世界が広がっています。これです。凄いでしょ。これが見せたくてこの場所を選びました。植物でこんなデザインが描けるんですね。いかにもフランスらしい美的感覚溢れるシャトーでした。Anger_2

2009年12月16日 (水)

2009年 No.67 無駄話・こぼれ話11(おらが村の自慢話1)

2009 No.67 無駄話・こぼれ話11(おらが村の自慢話1)

✍おらが村とは?

おらが村とは、在ロンドンで住んだWimbledonです。そう、あのテニスの殿堂Wimbledonです。テニス全英オープンは6月に始まります。その全英オープンの前に、Wimbledonでは村祭りがあります。そうまるで田舎の村祭り。通称Wimbledon Commonと呼ばれる草原に移動遊園地が突然姿を現します。そして、その周りに駄菓子やオモチャ屋が延々と軒を並べます。移動遊園地が突然その村に姿を現します。息子はゲームの商品で、何故かオモチャの「日本刀」を貰いました。何故か「日本刀」が飾ってあったもので。

✍全英オープン開幕

この村祭りが終わると、いよいよ全英オープンの幕開けです。そう、この日から突然町が変わります。小さなロンドンの郊外の閑静な田舎町に溢れだす観光客。テニスコートと駅を結ぶ専用ピストンバスが沢山の観光客を乗せて忙しげに行き来し、大きな選手の写真をはった宣伝車が町を走ります。ビーチボールサイズの巨大なテニスボール(コートに売っています。これに選手のサインを貰うのです)を持った若者が町を歩き回ります。そして運がいいと選手にも遭遇します。僕の友達は、杉山愛に遭遇してサインを貰ったとか。僕も週末は運を信じてウロウロしました。伊達公子が良くくる中華屋にも、イギリス代表のティム・ヘンマンが良く来るという家の傍のイタリアンにも出没したのですが、結局誰にも会えず・・・。

✍入場券

これを手に入れるのは至難の業です。抽選で当たるのですが、それは実に限られた皆さまでして。で、券が当たらない時は、ひたすら行列して券を手に入れるのです。

ご参考までにある年の我が家の状況描写します。午前5時に、自宅をでて指定された場所へ。徒歩10分ぐらいで到着。延々と続くテントの行列。こんな感じで、延々と、Wimbledon ひたすら続いています。そう、前日夕方から並んでいる皆さんを横目に見ながら何百メートルも歩いて、その列の最後尾に。実はテニスコートの隣はゴルフ場なのですが、このときばかりはゴルフ場も、その駐車場も待機場に変貌します。6月といっても朝5時はかなり寒いです。相当厚着をしていたのですが、寒くて寒くて家から持ってきたポットのコーヒーを啜りながら列が進むのを待つ。待つこと4時間。漸く行列が少しずつ進み始めます

楽しいのは、大会のスポンサーがタダで色々なグッズを並んでいる人に配ってくれるもの。帽子とか、T-Shirtとか。これを貰う頃になると遠くにテニスコートが、あのWimbledonが見えてきてかなり期待が持てます。券は手に入るのでしょうか? そんな時、「なんか僕らの前に2000人並んでいるらしいよ」という噂が聞こえてきて・・・絶句。4時間並んで空振り?そ、そんな。

動揺が走ります。・・・続きは、次回へ。

2009年12月12日 (土)

2009年 No.66 世界遺産No.60 シャルトル大聖堂

2009

No.66 世界遺産No.60 シャルトル大聖堂

✍執念

ここだけは自分の写真で紹介したかったのですが、諦めてURLをご提供します。http://allabout.co.jp/travel/worldheritage/closeup/CU20080612A/index2.htm#1

この中のステンドグラスを御覧下さい。これが「シャルトルの青」といわれる有名なステンドグラスです。パリのノートルダム寺院の薔薇窓も素晴らしいですが、シャルトルの青も素晴らしいですよ。

✍どこ?

機会があったら是非立ち寄ってほしいので、ちょっとしつこくご紹介しますと、シャルトルは、パリから

フランスの首都パリからおよそ南西80kmほど離れた都市シャルトルに位置し、パリ・モンパルナス駅からルマン、ブレスト方面行きTGV、または長距離列車で50分~70分でつきます。モンサンミッシェルもそうなのですが、フランスは巨大な平地なので、車で高速を降りるとかなり遠くに、大聖堂が見えてきます。ポツンと・・・。それが車が近づくと段々と大きくなってきます。面白いですよ、この感じ。

✍思い出

この場所を見ると思い出すのは、川。駐車場に車止めて、そびえたつ大聖堂を前にして、パリから持ってきたお弁当を食べました、川縁で。小さな鴨が気持ちよく泳いでいました。そんな事のほうをより鮮明に覚えています。もう15年も前なのに。

✍で大聖堂

これはやはり専門家の説明にゆだねます。Wikipedia によれば、「フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えられている大聖堂。ロマネスク様式を基礎とする新しい大聖堂の建築が始まったのは1145であったが、1194の大火事で町全体と聖堂の西側前方部分以外が焼き尽くされたため、この残った部分のみ初期ゴシック様式となった。大聖堂本体の再建は1194から1220の間に行われ、中世大聖堂としては著しく短期間で完成へと至った。当初、土地面積は10,875m²であった。大聖堂の建築は最上級のもので、その高く聳え立つ通路やきめ細かい彫刻を見て熱情に溢れない建築歴史家は殆どいないほどである。フランスにおける全てのゴシック建築の大聖堂で最も素晴らしいものの中の一つだから、上記の賛辞は十分値するものである。遠くからはうねる小麦畑の上を徘徊する様にも見え、徐々に近づくと街が大聖堂が立つ丘の周りへと群がっているのが見え始める。」・・・・ほらほら、偶然にも同じ事いっています。そうなんです。遠くからでも、浮かびあがって、そして段々大きくなってくるんです、いやホント。

2009年12月 5日 (土)

2009年No.65 ポーツマス

2009No.65 ポーツマス

✍ちょっと

ちょっと毛色を変えて港町をご紹介。イギリス南の港町、ポーツマスです。本音をいうとご紹介できる写真の残っている街が減ってしまったもので。アルバム何処にいっちゃったのだろう?

ポーツマスというと「ポーツマス条約」ぐらいしか知りませんでしたが、あ、しかも名前だけですが(^^;) 実は、歴史に残る船が停泊する港町。かつ、あのチャールズ・ディケンズの家のある街だったんですねぇ。

✍ディケンズ

「グリスマス・キャロル」で有名な英国人作家ですよね。この冬もクリスマス・キャロルが放映されていますね。僕とディケンズの関係は・・別にないんですが、只、パリで最初に暮らした通りが、Avenue_Charles_Dickensだったのです。この住所、タクシーを停めて、住所を言っても通じないんです。フランスでは、英語風にチャールズ・ディケンズと発音してもまず通じません。カタカナで発音すると「シャ・ディケン」といわなければ通じない事が色々やってわかりました。

それは兎も角、ディケンズの家、建物の外観は至って普通の家ですので省略しますが、中には直筆の原稿・書簡などが飾られていました。(あまり良い写真がないのですが、まぁこんな感じで)。Photo

✍で、軍艦

軍港ですから、色んな軍艦が停泊しています。ここでは港クルーズに参加しましたが、本物の軍艦がたくさん停泊していました。横須賀港もこんな感じなのでしょうか?その中で今日はこの船をご紹介します。それはこれ。戦艦ヴィクトリーです。Victory Wikipediaによれば:「ヴィクトリー ("HMS Victory") は、イギリス海軍の軍艦で、104門搭載の戦列艦。現存する唯一の戦列艦であるとともに、世界最古の現役艦でもある。小型で機動力に優れた艦を好んだ18世紀当時のイギリス海軍では珍しい、100門以上搭載の一級戦列艦として受注された。建造途中に七年戦争が終結したこともあって、骨組みだけの状態で3年近くドックに放置されることになったが、1765年進水。ジョン・ジャーヴィス、ホレーショ・ネルソンら、多くの提督の座乗艦となり、アメリカ独立戦争やナポレオン戦争のいくつかの重要な海戦で旗艦をつとめた。特にトラファルガーの海戦では、フランス・スペイン連合艦隊の隊列に垂直に切り込む「ネルソン・タッチ」の性質上、約30分にわたって敵艦隊からの集中砲火を浴びることになったが、連合艦隊の砲撃の稚拙さにも助けられ、よく持ちこたえた。..

2009年12月 3日 (木)

2009年No.64 無駄話・こぼれ話10(欧州スポーツ事情)

2009No.64 無駄話・こぼれ話10(欧州スポーツ事情)

✍流石に

流石に10回も書いていると本当に「無駄話もここに極まれり」って感じでどうでもいい話になってきましたが、最近、浅田真央ちゃんやら、キム・ヨナやらが話題になって、年が明けるといよいよ冬のオリンピックの話題もヒートアップするでしょうし、今日は、乏しい知識と経験で独断と偏見の欧州スポーツ事情を書きます。無責任に思ったこと書けるのがブログの良さだし。

✍まずイギリス

冬のオリンピックでは派遣の僕らは寂しくなります。イギリスの冬五輪のお家芸は「カーリング」。で、僕らは真央チャンやら、ジャンプ競技(日の丸飛行隊?古い!)を見たくてチャンネルを回すのですが、どこまわしても、お姉さん達が箒もって「滑ってる石灯籠の頭」みたいなものの周りを掃いています。そういえばカーリングのルールが良く分からないもどかしさは、クリケットを見たときと一緒。6年居たけれど、結局クリケットのルールも良く分からず仕舞いでしたね。ファールチップでも走っちゃうし、空振りしても喜ぶし・・・1日で終わらないし。一方フットボール熱は凄まじいものがあります、フーリガンの存在はつとに有名ですが、オリンピックとはあまり関係ないか。テニス・・・それは何といってもウインブルドンの国ですから、あちらこちらにテニスコートあります。でもイギリスには強い選手が何故かあまりいません。

✍で、フランス

この国は柔道の国。なので夏のオリンピックは需給がピッタンコ。何処回しても白と青のカラフルな柔道着が舞っています。パリの周りの環状線(Peripherique)を走っていると眼の前に柔道ジムの巨大なJUDOという文字が迫ってきますし。多分欧州で柔道熱は1,2を争うのでは。そういえば僕の会社の同僚の弟さんは柔道の嘉納杯で大活躍した著名な柔道家でしたよ。

フットボールもテニスも盛んですが、面白いのはこの国では有名な「ペタング」・・・ご存知ですか? プロバンスの公園を歩いていたら、年配のメタボ系のオジサンたちが、鉄のタマをバックスピンかけながら飛ばしていました。何でも目印の球に一番鉄のタマを近づけたほうが勝ちとかで、つまりは「カーリングの公園版」?なんかけだるい感じの南仏の午後に、この映像がまたぴったりなんですよね。人々は昔から、適度に体が動かせるゲーム性のあるスポーツを追い求め、結果、国のおかれた緯度や気候に応じてお手軽で熱中出来るスポーツが盛んになり、結果、バラバラな発展を遂げたのでしょうか。

以上、究極の無駄話でした。

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