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2010年4月

2010年4月24日 (土)

2010 年No.14 無駄話・こぼれ話No17

2010 No.14 無駄話・こぼれ話

No17

✍日仏臭覚比較論

臭いに関わる一考察です。日本から来た友達を本場☆付フレンチにつれて行くとします。前菜・メインと食事は進みます。僕の有難~いアドバイスのお陰で、前菜を完食せず、さりげなく少し残す事で、素晴らしいメインもまた完食。OK!で、ここで普通フランスではチーズが出てきます。ワインを味わいながらチーズを楽しむのです。日本でも有名な青かびのチーズ、例えばロックフォール、あるいはヤギのチーズ(シェーブル)等はフランスではとってもポピュラーですが、日本から来られた方はこういう匂いの強いチーズはダメですねぇ。チーズはパスでデザートっていう人も多いですね。納豆や、烏賊の塩辛があれほど大好きな日本人なのに。

Vice Versa

で強烈な匂いがするアオカビのチーズをこよなく愛するフランス人。僕の知り合いで奥さんが日本人でお刺身Loveのフランス人でも「いやぁ納豆はダメっすね」とあっさり脱帽。匂いもさること乍ら、豆からだら~と引きずられる糸・・・この形状もダメなのでしょうね。

✍事例1

こんな事がありました。出張でパリから来たパリ支店の方。当時は僕はまだ全くフランス語が出来ず、出張者の英語もそれはひどいものでした・・・つまりは会話がなりたたない。会社のそばのスパゲッティ屋での事。写真を見ながら彼が注文したのが、何と何と「納豆スパゲッティ」。それはダメでしょう・・ただ説明が出来ない。(以下英語だと想って聞いてください)「これなに?」「それ豆のスパゲッティ」「豆だけど臭う豆」「豆でしょ?じゃあOK」「でも、只の豆じゃないんだけど・・(これが説明できない)」 で、運ばれて来た納豆スパゲッティ・・・ぬらぁ~とスパゲッティの上に鎮座する大量の納豆。顔をしかめる彼。「ほら言わんこっちゃない」。結局、彼はフォークで納豆を全て端に寄せてお塩をかけて麺を食べていました。僕は通算8年パリで暮らしましたが、そして日本党のフランス人にも沢山会いましたが、「納豆大好き!」という人にはまだ出会っていません。

書いていたら色々思い出してきたので、次回もこの続きを書きますね。

2010年4月18日 (日)

2010年No.13 世界遺産No.62 ナンシーのスタニスラス広場

2010No.13 世界遺産No.62 ナンシーのスタニスラス広場

ここも遠い忘却の彼方の記憶、一度目のフランス滞在(’90年~95年)の訪問でした。この時期は少し欧州生活にも余裕が出来てきて、そうなると観光地の宝箱のようなフランスでじっと暮らしている事に耐えられず、3連休だと毎回どこかに旅行していましたね。

まるで悪の組織にドクロストーン収集を使命付けられたドロンジョ様のように、あるいはドラゴンボール収集を使命とした孫悟空のように。はたまた変わったポケモンを幹部に届ける為、盗みを試みてはピカチュウの百万ボルトを浴びてはすっ飛んでいったロケット団のように(あれ、ご存知ない、これは失礼)。

この旅は、その中の一環でいったのです。このナンシーの旅。確か、どこかドイツに行った帰りに一日だけ立ち寄った記憶があるのですが、思い出せません。これほど何も覚えていないのも珍しいのですが。で、覚えているのはこの金キラキンの門だけですね、今となっては。これは「ネプツヌスの噴水」とよばれていてロココ様式の作品だそうです。この旅行も感激してパチパチ写真を撮ったのを覚えているのですが、遂にアルバムが見当たらず、仕方が無いのでWikipediaのリンクを載せます。ここでお見せしたいのはこの広場の入り口のこの噴水のある門扉です。:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nancy-place-stanislas-sued.jpg

広場の説明は以下です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%80%81%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%BA%83%E5%A0%B4

ここには、以下のような事が書いてあります。

スタニスラス広場 [編集]

この広場は、フランス王ルイ15の義父に当たるロレーヌ公スタニスラスが、国王を称えてつくらせたものである。1751年から1755年にかけて工事が行われ、国王広場 (Place Royale) と名付けられた。106m×124mのこの広場を実際に設計したのはエマニュエル・エレである。広場は市庁舎、凱旋門、ナンシー美術館などに囲まれているが、6箇所にロココ様式の美しい金属細工で彩られた鉄柵がある。これは金具師ジャン・ラムールが手がけたものである。広場中央にあった国王の像はフランス革命期に壊されたが、1831年になってムルト県ヴォージュ県ムーズ県の寄付を元にスタニスラスの像が設置された。スタニスラス広場と改称されたのはこの年のことである。

お伝え出来る世界遺産もあと数箇所となってきました。在庫一斉大処分の様相を呈してきましたが、今しばらくお付き合いください。

2010年4月16日 (金)

2010年No.12 ドーバ城

2010No.12 ドーバ城

✍戻ります

あちこち回ってきたのでイギリスに一寸戻ります。ドーバー海峡で有名なドーバー。ここに来ると、天気のいい日は対岸のフランスが見える・・・という話を楽しみに来て見ました。この地は親を連れてカンタベリーに来た時に立ち寄った場所です。

✍先ずは

Wiki

「ドーバーは千年にわたって重要な港であった。1992年に青銅器時代の浸水したボートが深さ6mのところから発見され、これは発見された最古の海洋航行船の一つであり、これは炭素測定から紀元前1550年のものとされる。フランス式の青銅の斧を含む「ラングドン湾の財宝」は1974年にドーバー海岸で発見され、それらは沈没船が残したものかもしれない。・・・もっと早い時期でなくとも海峡間での貿易は青銅器時代には既に行われていた事をしめしている。」

さてドーバー城とは・・・・「アングロサクソン人の時代にはドーバーには城塞が築かれた、それはドーバー城の最初の基礎の一部となった。」え、結局ドーバー城が何時誰に造られたかは良く分かりません。只ここに来ると「城」には要塞の意味があったことが良く分かります。ここに陣を設ければ、この海峡をわたる船の前に聳え立ち、立ちはだかる存在だったのでしょうね。

✍長い

前置きが長いですね。お見せしましょう。これがドーバー城です。普通お城の周りってそれなりの飾りつけとかがあるのですが、ここはあまりにもシンプル。こんな感じです。Photo_2

ここにくればフランス対岸が見えると聞いていたのですが、残念ですがこの日は曇りでしたので見えませんでした。ところでセブンシスターズでご紹介しましたが、この辺りは海辺が切り立った壁になっていてその壁は見事な白色なのです。御覧下さい。Photo_3

2010年4月11日 (日)

2010年No.11無駄話・こぼれ話16

2010No.11無駄話・こぼれ話

16

✍二大事件

欧州生活中に新しく起こった事。それはEuro-Disneyの誕生とEuro-Tunnelの開通。ちょっと今日はこの話をします。

Euro-Disney

出来たのです。パリ郊外に。RERという郊外電車の終点。僕は実は日本のディズニーランドに行った事がないのです。なので比較は出来ないのですが、ディズニーランドはもっと盛り上がっているべきものなのでは・・。何か静かだったんです。お客さんもそうだけど、お店の人がもっと盛り上げるべきでは。お店の人が静かなんです。というか盛り下がってます。ディズニーランドは陽気なイタリア人の棲むミラノあたりに造るべきだったのでは。・・・と思わざるをえませんでした。それから6年経って機会あって子供連れで再度行った時は、かなり様変わりしていて、「っぽく」なっていましたが。まぁ外観だけ載せときます。Eurodisney1_3 Eurodisney2_3

でも、子供はトラウマです。初めて行った時には帰りのレストランのリゾットに食べてあったたし、2度目の時は乗り物酔いはしたし・・・そんな訳でディズニーランドというと息子は顔をしかめるので、我が家は結果としてディズニーランド東京に行った事がないのです。一生行かない珍しい日本人になるかも・・。

Euro-Tunnel

20分の楽しい体験でした。Euro-TunnelではTGVという新幹線が通るトンネルと車が通るトンネルがあります。車のトンネルは車がトンネルを走るのではなく、「車を載せた電車」がトンネルを走るのです。「電車の中には食堂や喫茶があって自由に歩きまわれる」事を想像していましたが、ついているのはトイレだけ。乗客は自分の車に乗ったまま横断するのです。それもその筈で乗車時間は20分・・喫茶や食堂で寛ぐ時間はないのです。で、パリに到着して列車から降りて高速に入ると、その時はもう車は右側通行なのです。車線の逆転は結構大変です。曲がり角に来るために家内に「右、右」っと右車線に入るように促してもらったものです。それでもカレーとパリで間違えて左車線を走りましたが。ところでEuro-Tunnelは列車に車を積むので時間がかかります。そしてその為に時々遅れが出ます。30分遅れると後日、「無料乗車券」が送られてきます。これはラッキー。僕の知り合いの知り合いで、この乗車券使って毎回只で往復している人がいましたが、それぐらい遅れは恒常的になっていたそうで、この電車、採算取れているんでしょうか?

でも車運転が好きな僕らにはこのTunnelは大変役に立ちました。ロンドンからドイツの温泉にも行ったし、ベルギーのブルージュにも行きました。色々な思い出がこのトンネルには詰まっています。

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