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2010年10月

2010年10月31日 (日)

2010年 No.41写真で綴る欧州旅行No.6(カルナック)

2010 No.41写真で綴る欧州旅行No.6(カルナック)

✍もし

写真があったら、過去に絶対写真を掲載していた筈ですが、写真が無かったので、2008124日、つまりはこのブログが始まった直後に「休息:フランス人Oui ou Non」の記事で紹介しているのがこのカルナックです。この旅は、とても人情を感じたので、「フランス田舎礼賛」の記事を書いています。

✍カルナックって?

イギリスのストーン・ヘンジは有名ですが、カルナックってどうなんでしょうねぇ?

こんな場所です。(地球の歩き方)によれば、1099の巨石が1.2㎞に亘って延々と続く巨石群、紀元前5世紀~2世紀にかけて立てられたものと言われている。「それは夏至の日に、日の出の光がちょうと石の当たるよう、半円形に並べられたものもあり、太陽信仰の宗教儀式の為とも言われているが、未だにその謎は解明されていない」との事。何も語ってくれない巨石を只々お届けしますね。この空間、本当に不思議でした。時空を超えた何かがあるような・・。2500年間何かを語りかけている巨石たちのメッセージを聞いてください。

    ALIGNEMENT(巨石群)

    こんな石が並んでいます。

Photo

③ストーンヘンジにも似た石も・・・

Photo_2

Alignements

1_2

2010年10月26日 (火)

2010年No.40プロバンスの1週間No.4(マルセイユ)

2010No.40プロバンスの1週間No.4(マルセイユ

)

✍メジャー

です。ここは。なぜならフランス第二の商業都市。地球の歩き方によれば、歴史は古く紀元前600年にフォカイア人(誰?)によって造られた街で、ギリシャ・ローマを通じて重要な港だったそう。Photo

✍見慣れた

筈でした、港町は。なんたって横浜生まれですし、僕。でもここの海辺はなんか元気でした。大きな町なんだけど、なんか田舎の漁村のような自然の香りのする活気があって。目の前で水揚げしたばかりの魚が、まさにピチピチ跳ねていてそれをお客さんが買っていました。Photo_2 忘れられないのはタコ。Photo_3 Photo_4 この生簀のピチピチ魚に蛸が一匹混ざっていて、何度もニョロリンコと逃げ出そうとするのですが、その度にお店の人がお客さんと話をしながら蛸を見もせずに、そのたびに蛸を掴んでは元にもどしていました。何だか店員さんと蛸の一体感がSHOWのようで笑っちゃいました。

✍その港を。。。

港を見下ろして聳え立っているのがノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院。塔の上の金色のマリア様が朝日に輝く。Photo_5 この光景を見ると思い出す、痛恨の思い出。

✍逃した2

この旅行、マルセイユ迄は電車に車を載せてきて、僕らは別途マルセイユまで夜行列車で。朝、到着したら別途届けられたマイカーをピックして、そこから運転開始。とってもらくらく便利システムですよ。マルセイユ迄一緒に来た会社の同僚とここで別れ、改めてニースの2☆レストランで合流の約束。う~ん、ドラマチック。ところがここからニース迄ジェットコースターのような山道を走ってきたらすっかり車酔い。携帯の無かったこの時代・・態々店まで行って、お店の前で待ち合わせた仲間に「御免、ちょっと車に酔って気分悪いんで、僕らは遠慮します」こうして僕らの前から珠玉のミシュランの2☆が消えてゆきました。

✍基本

で、結局、ホテルに戻って、パリから車に積んできた電子ジャー(わざわざ持ってきたのです)でご飯を炊いて、お店で買った「鰯かなんかの缶詰」を食べたのを覚えています。こういう思い出って忘れないですよね、今でも覚えてます。

✍でも更に

凄~い思い出がこの街にはあります。それは、・・・次回に回します。

2010年10月21日 (木)

2010年No.39 プロバンスの1週間No.3(Nimes:ニーム)

2010No.39 プロバンスの1週間No.3(Nimes:ニーム)

✍う、マイナー

マイナーです。しゃぁないんです。プロバンスってそんなマイナーな街の集合体というか・・・粒々が地味だから個々の町じゃなくて「プロバンスという地域名で売っている」訳で・・・。

でもこの地名覚えておいて、どこかで薀蓄垂れられたら、貴方も立派なプロバンスお宅。

✍なので

記事控えめにして写真を紹介します。先ずは地名の由来から・・・泉の精ネマウスス(Nemausus)に由来するのです。正しくはNîmes(iにお帽子がつきます)。あまり由来っぽくないですが。

名前の通り泉の周りに出来た街。そうここは「フランス最古のローマ都市」・・・その意味では、実は「メジャーな観光地」のです。

✍実は宝庫

見所ザクザクのニーム。先ずはこれ古代闘技場。Photo BC1世紀のもの。21000人を収容したとの事。

サイズ133㍍*101㍍と結構大きい闘技場です。Photo_2 そしてメゾン・カレ。ここには「ローマ時代の遺物を展示されている」と地球の歩き方には紹介されていたが、僕らが行った時は「もぬけの殻」でした。(そういえば「もぬけ」って何?)これは形はギリシャのパンテノン神殿のミニチュアでした。Photo_3

✍若かったから

地図を見て決めたのです。街の北のはずれの「マーニュの塔」。直線距離にして3km。よし、歩こう。でも地図は二次元。実際は三次元の上り坂。若かったから体力に任せてダラダラ30分ぐらいのぼりました。これがマーニュの塔。Photo_4 BC1世紀に建てられたという塔。日本で紀元1Cに建造されたもので観光客が登れる所ってありましたっけ?「正倉院」だって観光客が土足で登ったら新聞記事ものですよね。ここ登れます。で、登りました。  過去にもお伝えしましたよね!・・・コロンブスの塔、サグラダ・ファミリア、エッフェル塔・・・「塔があったらとにかく登る」のです(何とかと煙は・・・です)。でもその努力はきっと報われるのです。そこからの美しい景観をお楽しみください。ほら中央に競技場。これが徒歩の基点でした。Photo_5

この景色を見ると思うのです、「あぁ、プロバンスだなぁ」

2010年10月11日 (月)

2010年No.38 写真で綴る欧州旅行No.5 シャルトル(フランス)

2010No.38 写真で綴る欧州旅行No.5 シャルトル(フランス)

✍シャルトルを写真で

2009No.66で世界遺産No.60として紹介したシャルトルですが、写真をお届けします。

✍それはモン・サンミッシェルに似て

殆ど共通点ない2つの教会ですが、似ている点、それは車を駆っていると遠くに「プチッ」と見えてきた教会が段々とズームアップしてくる点。周りが広々とした平野で建物がないこと、この教会が高台に立っている事から実現できるドラマです。結構、このワクワク感たまりません。

✍街に着くと

こんな感じで高く聳えたってます。Chartles Chartles_2

✍シャルトルの青

教会はノートルダム教会、別名シャルトル大聖堂。そのステンドグラスの美しさから「シャルトルの青」。この教会の薔薇窓のステンドグラスが有名です。Chartles_3 内側から見るとこんな感じで。あまり綺麗に取れていませんが、陽光に透かしだされたステンドグラスは本当に綺麗です。Chartles_4

✍田舎の佇まい

街は田舎、自然と共存するようにこんな川が街を流れ、水鳥が優雅に泳ぎを楽しんでいます。Chartles_5

この川の畔で、教会を眺めあげながら弁当を広げて、自然の中で食を楽しんだのを覚えています。

文化と自然が融合したようなフランス片田舎の珠玉の宝ですね。

2010年10月 7日 (木)

2010年No.37 プロバンスの1週間No.2 レ・ボー(Les Baux)

2010No.37 プロバンスの1週間No.2 レ・ボー(Les Baux

✍だんだんと

聞いた事もないオタッキーな名前が出始めましたよね。すいません、ちょっとだけお付き合いください。

✍夏草や

「夏草や、つわものどもが夢のあと」という日本の戦場跡の侘しさを歌った俳句がありますが、この歌、僕にとって一番ぴったりきたのが、このレ・ボーでした。

何にもないんです。そう「何かあったけど、今は何もない、そこで何があったかを偲ぶ」タイプの名所が、ここレ・ボーです。

アルルに来たついでによったこの地、地図を頼りに車を走らせると突然、まるでそこだけ隆起したような台地が見えてきます。Photo_7 それがレ・ボー。ここだけは航空写真でもないとイメージが全く浮かばないでしょうから、絵葉書の写真載せます(僕がヘリに乗って撮ったのではありません)

Photo_8

地球の歩き方に1頁だけ載っているだけのこの地。説明によれば、Ville Morte(直訳すれば死んだ街)。嘗ては「ボー家」は南仏最強の領主として当時79の街を従え栄華を欲しいままにしていたそうですが、14世紀にその血筋が絶えた後は没落し、プロヴァンス公国、そして1483年の反乱で要塞を粉砕されてフランス王国支配へと屈し、その後、ルイ12世の宰相、1632年にあの有名なリシュリューによって完全に破壊され、そのいわば「残骸」が保存されているという場所です。まさに「強者(つわもの)どもが夢の跡」です。ここには、夏草さえ咲いていません。ローマーの遺跡は、その地に立つと、それでも2千年前の建造物を必死で残そうとしている人々の熱意を感じますが、この地に立って感じるのは「破壊」。あったものを徹底的に壊そうとした結果が「綺麗に」保存されています。観光者向けに作られた簡易階段以外は過去のままです。こんな感じで・・。こういう破壊を目の当たりにした観光はこれが初めてでした。その意味で赴き深い場所です。1_3 2_3

✍みるもの

はこれだけ。「レ・ボーの大地の歌い手」と称えられたプロバンス語の詩人シャルルーン・リューの記念碑。これが大地の外れに栄枯盛衰をじーと見てきたようにポツンと建てられていました。Photo_9

フランスの旅、こんな飾られていない名所も逆に見甲斐がありましたよ。

2010年10月 1日 (金)

2010年No.36 プロバンスの1週間No.1 Aix-en-Province(エクサンプロバンス)

2010No.36 プロバンスの1週間No.1 Aix-en-Province(エクサンプロバンス)

✍プロバンスの12ヶ月

というエッセイが僕らがフランスに居た時に大ブレイクしました。「猫も杓子もプロバンス詣」で、僕らがプロバンスに旅行した時には、日本のツアーが溢れかえっていました。そんなプロバンスの写真も発掘されましたので、暫くお伝えしたいです。

✍アンパン

アンパン・・の話しましたっけか?過去に触れたかもしれませんが、「話の流れ」でもう一度。

日本語でアンパンという発音をしたら、中に餡子が入っていてパンに胡麻とかをまぶしたパンですが・・フランスでアンパンといえば。

✍プロバンス12ヶ月のおっかけと遭遇

あれはどこだったか良く覚えていないのですが、多分アルルかどこかのトイレだと思います。その遭遇は。観光バスで押しかけてきたと思われる、在る日本の中年女性(「おばちゃん」というと家内に怒られます最近)が自動販売機でジュースを買おうとしていました。お金を入れても入れても戻ってしまう。機械にはアンパンの張り紙が。アンパン(en pane)とはそう「故障」の事。「あ、それ故障してますよ」と助け舟を出した途端、「あ、あんた日本人?」それからは質問の嵐。「この辺でどこがええん?どこが面白いん?ここ、ここなんてどうかね?」と怒涛のより。(やっぱり日本のおばさんだ!しかもこてこて関西の)56分後開放されましたか、いやいや凄いっす。

✍漸く本題

ところで、タイトルのエクサン・プロバンスは、「プロバンスでもっともプロバンスらしい場所」と地球の歩き方に書いてあったようななかったような・・只、このひたすら一直線の目抜き通りのそこここに湧き出す泉を見ながら歩いていると、癒しのオーラを感じます。なにか不思議な力のある街です。街の写真を少し載せます。Aixenprovince_2

Aixenprovice 

✍が

寧ろお伝えしたいのはこれ。かのセザンヌのアトリエです。郊外の一戸建ての2階屋に彼の使ったキャンパスやらがデッサンやらが今も保存されていて、その場に立てば当時の創作活動に思いを馳せる事が出来ます。(中は撮影禁止だったと思うので外観と、Muzee Cezanneと書かれた門を載せます)Aixenprovice_cezanne

Aixenprovice_cezanne2

この街で生まれ、この街で息を引取った画家の生き様を垣間見れた思いでした。

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