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2010年12月

2010年12月26日 (日)

2010年No.48 プロバンスの1週間No.8(サント・マリ・ド・ラ・メール)

2010No.48 プロバンスの1週間No.8(サント・マリ・ド・ラ・メール)

✍ラスト

長々と無名な地名を続けて来ましたがこれが最終章。最後は少し重々しく、そしてキリスト教の教えが深いフランスらしく・・・・。サン・マリ・ド・ラメールとは、直訳すれば「海のマリア達」・・・キリスト没後、エルサレムを追われた3人のマリアがこの地にたどり着いた。それはマリアの妹マリア・ヤコベ、ヨハネの母マリア・サロメ、そしてマグダラのマリア。

マグダラのマリアはサント・ポームの地へ、2人のマリアはこの地で一生を終えた。この地は、サント・マリー・ド・ラ・メールと名づけられ、巡礼の地となった。マグダラのマリアがジプシーであったという事から、とりわけジプシー達の信仰を集め、ジプシー達の祭りが行われる。

(地球の歩き方より)。

✍ここは

ローヌ川河口の湿原地帯が広がるカマルグ地方にあります。この地には2人のマリアの墓の墓所に建てられた教会の鐘楼があります。これです。

フランスはあらゆる場所に、キリスト教の香りがします。

Photo

Photo_3 

✍名物

重たい話はこれまでとし、食の話。フランスというとパン、つまり麦の産地であることは言うまでもないのですが、この一体はフランス一の米どころ。そしてスペインとの交流もある・・・・となると自然発生的に生まれる名物とは・・・・・・・・それは「パエリャ」。パエリャはスペインと決めること無かれ。夕刻ともなると普通の街並みに直径1mぐらいの鍋が用意され、パエリャの調理が始まります。その香りのなんとも、たまらんのです。フラフラと立ち寄ると「まだダメ。6時から」と言われ街をぶらぶらして6時キッカリに再度参上。「お、きたな」という笑顔に今度は迎えられて着席。運ばれて来たパエリャは、エビやら魚やらの魚介類がタップリ乗せられた

秀逸の一品でした。この後スペインでもパエリャを食べる機会がありましたが、僕はこの海辺のパエリァの方が鮮烈で好きでしたね。

是非、機会があったらこの海辺の町で、パエリャを試してくださいませ。

✍オマケ

これ面白かったです。この街に向って車を駆っていたとき、地図では川を渡る事になっているのですが、橋がないのです。数台の車が川の手前に留まっているのですが、ドライバーは焦っている様子も無く・・・。Photo_4

変だなぁと思って聞いてみると、この川、30分に一回橋型の船がやってきて河岸を繋ぎ、その船がいる間だけ、ここを渡れるのです。確かに30分近く待つと船が、というよりも橋そのものがやって来て川を繋いでくれて無事渡れたのですが・・・こんなことやるなら橋を架けたほうが速いような・・・? 色々な経験をしますね。海外旅行していると。

2010年12月19日 (日)

2010年No.47 写真で綴る欧州旅行No.8 (ルーアン)

2010No.47 写真で綴る欧州旅行8(ルーアン)

✍運・不運

歴史的建造物には、「修理」がつきもので、多くの観光客がカバーのかけられた観光名所を前にして「眉をひそめ」、落胆させられます。私の過ごした8年のパリでも、かの「凱旋門」がありのまま見れたのって半分ぐらいの期間ではないでしょうか。後はどこかにカバーがかかっていてシャンデリゼ通りからうつるシンメトリックな美しさに「水を差す」事が多かったですね。

で、このルーアンのノートルダム大聖堂も、この時はお色直し中でした。何度も通い何枚も写真に収めた筈なのですが、他にいい写真もなく、一方で面白いのでこの写真を載せます。Photo

✍流石フランス

日本と違いお化粧直しにも工夫が。御覧の様に、カバーにも色とりどりの模様が付されたカバーが使われていて、これはこれで映像的には楽しいかもしれません。何の柄もないカバーに、「安全第一」の文字とお辞儀をしている人形のついたプレートが無機的に付けられている日本とは大分感じが違っています。そういえばシャンデリゼの「ルイ・ヴィトン」など、改装工事のときには、建物のカバーそのものが「巨体なヴィトン・バッグ」の形にデザインされ、それは面白い眼を引く企画でした。遊び心があります、この国。

✍ルーアンといえば

ジャンヌ・ダルクでしょう。ここにはジャンヌ・ダルクが火炙りになった場所の巨大な十字架

とその片割れには「ジャンヌ・ダルク教会」があります。1979年に建てられた女性らしい近代的な教会で、16世紀のステンドグラスも飾られていて綺麗でしたよ。Photo_2

✍時計台

それとルーアンといえば必ず載っている写真がこの時計台です。時計台は14世紀、門は16世紀のものです。Photo_3

歴史の詰まったルーアンです。

✍オマケ

マクドナルドです。マクドナルドは周りの景色に完全に同化して、木枠作りのデザインです。

これぞマックの生命力です。Photo_4

2010年12月15日 (水)

2010年No.46 プロバンスの1週間No.7(サン・レミ・ド・プロバンス)

2010No.46 プロバンスの1週間No.7(サン・レミ・ド・プロバンス)

✍更に

地味観光地にお付き合いください。アビニオンより南に20㎞に位置する街なのですが、地球の歩き方でも半頁の扱い・・まさに「おまけ」扱い。

でもここで生まれた人はビッグ。なんとそれは「ノストラダムス」。

Musée s Alpilles Pirre de Brunには彼の資料が残されている・・・って、おい!。今この記事を書いてて初めて知りました。

✍で

地球の歩き方の記事を紹介しますね。「ローマ時代の凱旋門L’arc Triomphalと霊廟、古代の町の廃墟であり1921年より発掘されたグラヌム遺跡もある。」という事で、良く分からないまま

撮った写真を載せます。Photo_4

➣霊廟です。

Photo_5

➣凱旋門です。

Photo_6

✍あ、思い出してきた

この隣にゴッホが入院した病院があったそうですが、これもちっとも知りませんでした。

多分、プロバンスを散策していて、とりあえず観光ガイドブックを頼りにここを訪ねたんだと思います。’94年の事なのでよく覚えていませんが、確か、ミシュラン観光ガイド(日本語版)を参照して行動していたような気がします。それで病院訪問が洩れちゃったのかも。尤も、病院内部はアクセス不可との事なので、だから訪ねなかったのかもしれません。

2010年12月11日 (土)

2010年 No.45 プロバンスの1週間No.6(イフ島) 

2010

No.45 プロバンスの1週間No.6(イフ島) 

✍惨劇

No.40のマルセイユ」の記事で、「・・・

でも更に凄~い思い出がこの街にはあります。それは、・・・次回に回します。」と期待させながら(・・・誰も期待してないのは知ってます、ハイ)、兎も角、それっきり話が拡散してしまいましたが、ここで戻ります。

✍それはイフ島

それはマルセイユの港に立つと見えます。観光客というのは面白いもので、「折角マルセイユ迄来たんだから、あの波止場から出ている船で、あの島まで行ってみたい!」という心理的渇望が湧き上がる訳です。で、急ぐ旅でもないので行ってみるかと。Photo_3

✍船出

船出は普通でした。漁船ぐらいの小さな船でしたが、「あそこに見える島に行くのだからまぁこんなもんか」っと。観光客も20人ぐらい?だったかなぁ。そんなもんでした。Photo

地中海とはいえ、外海だったんですねぇ。暫くすると波が段々高くなりました。えらく揺れる船。押し寄せる船酔いの気配・・・あの、あの島迄もつか?

✍その時

一瞬、大きな波の上に乗り上げたような感じがしました。船が45℃傾いた感じ・・その瞬間、突然止まるエンジン。乗り上げた船が水の中に落ちる反動で船の中になだれこんでくる波。船の中には靴が水に浸ってしまうぐらい水が溜まりました。一瞬の事でした。悲鳴すらあがらない・・・そしてエンジンが止まったまま数分間。フランスでは当たり前の事ですが、何の説明もなし。・・・「このまま沈むのでは」という思いが押し寄せてくるのにあまり時間はかかりませんでした。あちらこちらで始まる不安そうなひそひそ話し。そんな時、人は色々なことを考えるものです。『泳ぎの得意でない家内をおぶって、あそこに見えるあの島まで泳げるか?俺』。

結局、何のアナウンスもないまま数分間波間を漂ったあと、突然エンジンがかかり、何事もなかったように島に到着。何事もあったのは僕らの体調。恐怖と船酔いでもうボロボロ。

✍で、島

こんなに苦労してきたのに、何にもないです。御覧のような小さな小さな島ですので、ホテルもリゾートっぽいレストランも、売店も・・・。ここから見ると海の向こうにマルセイユが見えます。2

「こんな近い距離に、何にもない島に何でこんなに苦労しなければいけなかっただぁぁぁぁ。」なんて思いながら。でも、この透明な地中海の海は、それにしても綺麗でした。

Photo_2

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